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「ヒエロニムス2世(ジローラモ2世)・アマティ」(1649〜1740)は、クレモナの黄金期を築いたアマティ家最後の製作者であり、ヴァイオリン製作史における最高の巨匠とされた「ニコロ・アマティ」の長男にしてその正統な後継者でもあります。
17世紀のクレモナは、1630年に発生した猛烈なペストの流行により、多くの弦楽器製作者が命を落とすという未曾有の危機に直面していました。この困窮の時代に立ち上がり、一族の伝統を守り抜くだけでなく、弦楽器の造形美を至高の領域へと高めたのが父「ニコロ・アマティ」でした。
ニコロが生み出した、それまでよりも一回り大きく音響に特化した設計「グランド・アマティ(Grand Amati)」モデルはヨーロッパ中で絶大な評価を受け、彼の工房には数多くの弟子が集まりました。若き「アントニオ・ストラディバリ」や「アンドレア・グアルニエリ」もまた、このニコロの工房で技を磨いたと伝えられています。
1649年に生まれた息子「ヒエロニムス2世」は、幼少期から父ニコロの圧倒的な手腕を間近で見て育ち、1670年代に入ると高齢となった父を支え、ニコロ名義で出荷される名器たちの製作において中心的な役割を果たすようになっていきます。父譲りの極めて細やかで精密なパフリング(象嵌)ワークや、流麗で立体的な縁周りの細工、深く輝く美しい黄金色のニスは、ヒエロニムス2世の確かな父譲りの技術を証明していました。
しかし1684年、偉大なる父ニコロがこの世を去ると、ヒエロニムス2世の運命は大きな転換期を迎えます。
父の後を継いで工房主となった彼を待ち受けていたのは、かつて父の工房で共に切磋琢磨した弟弟子たち-「アントニオ・ストラディバリ」や「グアルニエリ一族」の躍進でした。時代は、アマティ調の優雅で気品溢れる音色から、ストラディバリやグアルニエリが追求するフラットなアーチを持つ、より力強く大音量の音色へと移り変わりつつあったのです。
そんな中、ヒエロニムス2世は、アマティ家の伝統であるエレガントな造形と甘く優美な音色を守り続けながらも、時代の要請に応えるべく、アーチの高さを低く調整した力強いモデルの試行など、静かな探求を続けます。
そして1690年からは、父ニコロの作品を凌ぐような見事な楽器を製作し、遂に黄金期を迎えたのです。
今回ご紹介する1693年の楽器は、まさにこの黄金期最中の素晴らしい作品で、アマティ一族独自の高貴で流麗な美しく甘味な低音色と、ストラディヴァリのそれを思わせるような立ち上がりの鋭い、明るく煌びやかで輝かしい高音色との両立を、見事に成功しています。
ただ、彼の偉大だった父が、あまりにも完璧と言われる「アマティ・スタイル」を完成させていたが故に、ヒエロニムス2世の繊細で高潔な作品は、当時圧倒的な評価を受けていた「ストラディバリ」時代の狂乱の中にも埋もれ、過小評価される不運に見舞われることとなります。
そのためヒロニムス2世は、1697年にクレモナから離れてピアチェンツァに移住し、以降は作風も変わり、製作本数も少なくなっていったのです。
そして彼が1740年に90歳を超える長寿を全うして没したことで、ヴァイオリン族の創始者「アンドレア・アマティ」から200年近く続いてきた「アマティ王朝」は、静かにその歴史の幕を閉じました。
しかし近年では、ヒエロニムス2世が遺した作品の再評価が進んでいます。
父ニコロとの共同製作期に見られる完璧な職人技、黄金期の見事な作品に見られるサラブレッドのプライドと魂、そして独創期に見せる気品と哀愁を帯びた佇まい。それらは決して時代の敗者ではなく、「ヴァイオリンの母体となったアマティの美学を、最後まで誇り高く守り抜いた最後の名工」としての眩いばかりの光を放っているのです。
特に短い期間だった彼の黄金期の作品は、今日、一族の中でも最高峰の楽器と称されることもあります。
その貴重な作品に触れたものは、ヴァイオリン製作史上、最高峰の血統が魅せる高貴さや気品、甘味で繊細な美学、そして力強くも奥深い哲学の中に聴こえるノーブルな響きに魅了されてしまうでしょう。
ヒエロニムス2世の作品は、300年以上の時を超えて、アマティ王朝の余韻を現在にも届けてくれる大変貴重な意義深い作品なのです。
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