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ジョバンニ・フランチェスコ・プレセンダ(1777〜1854)は、19世紀の北イタリア・トリノの発展にもっとも貢献した製作家です。アンドレア・アマティに始まり250年にも及ぶクレモナの栄光は、産業革命と時を同じくして幕を閉じます。それに変わって時代に君臨したのが、プレセンダでした。
彼は、1777年にアルバというトリノ近郊で、ワインや白トリュフの生産でも知られる小さな町に生まれます。そしてヴァイオリン奏者でその修理も手がけていた父親から、その奏法と修理を学びます。後に、ヴァイオリン製作や、家具製作、宝飾関係の仕事等もしますが、40歳の頃にトリノへ出て、本格的にヴァイオリン製作を始めました。すると、トリノを中心とする北イタリアのソリスト達によって、彼の名は瞬く間に知れ渡るのです。多くの演奏家に支えられ研究熱心だった彼は、アマティやストラディヴァリ、ガルネリ、ガダニーニの影響を受けながらも完全なるオリジナルスタイルで製作を続けます。以後、1829,32,38,44,55年の5度に渡って、トリノの展示会でメダルを受賞しました。
この時代、既に数あるクレモナの作品の中でも、ストラディヴァリとガルネリ・デルジェスが突出して素晴らしい作品であることが認知されており、フランスではリュポやビヨームが、イギリスではフェントやヴォラー兄弟が、そしてイタリアでもディスピーネやプレセンダの弟子のロッカまでもが、それらクレモナの巨匠達のコピー楽器を主に製作していました。しかしながらプレセンダは、一貫してコピー作品を製作せずに自身のスタイルを生涯貫き、ストラドモデル、ガルネリモデル、に並ぶ、「プレセンダモデル」を確立したのです。そのことは、後に20世紀のトリノの巨匠となる、アンニバル・ファニオラがプレセンダモデルの作品を最も多く製作することにも繋がったと言えるでしょう。
ヴァイオリン製作の歴史はその後20世紀初めに、このファニオラやビジャッキ等により、トリノとミラノで繁栄を極め、20世紀半ばには修復家のサッコーニやスガラボット等によってクレモナへと回帰していくのです。
18世紀のトリノの栄光を築いたジョバンニ・フランチェスコ・プレセンダはまさに、ストラディヴァリ、ガルネリにつぐ、ヴァイオリン製作界の巨匠の一人と言えるでしょう。
今回紹介する1830年製のこのヴァイオリンは、プレセンダが黄金期の真っ只中に製作した楽器で、日本を代表する若手ヴァイオリニストの三浦文章さんが、ハノーファー国際コンクールにて史上最年少で優勝した前後5年間ほど使用していた楽器です。
その作品の特徴は、楽器のフォルム、アーチ、細工、ニス、地色、音量、音質、すべてにおいて余す事なくプレセンダの才能を発揮した素晴らしい作品で、黄金期のストラディバリウスの力強さや輝かしさを思い起こさせるような、非の打ち所のない作品と言えるでしょう。
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