「ピエール・シモン」(1808〜1881)は、パリの「ドミニク・ペカット」(1820〜1874)の工房を引き継いだ人物で、「ペカット」以降、フランスの最も重要な弓製作家の一人です。
弓の多くは、楽器との相性を選ぶ作品が多く存在しますが、「シモン」の作品は“合わない楽器がない”と言われるほど、あらゆるスタイルの楽器の音色や、それぞれの個性と魅力をより際立たせる能力を秘めているため、“最も万能な弓”と評されるほど多くの演奏家、収集家、楽器商にまで広く求められています。
1808年12月1日にフランスのミルクールで、石屋の父「シャルル・シモン」のもとに生まれた「シモン」は、若い頃から弓製作をはじめていて、「ペカット」と幼馴染だったと言われています。
その後、青年時代には、手がつけられないほど荒れた生活をしていて、様々な騒動を引き起こし、1834年2月18日には刑務所に拘留されていた記録が残っています。
そのため、この時期の「シモン」の作品は殆ど残されていません。
しかし「シモン」は30歳の頃、パリで成功して独立を果たした「ペカット」に誘われ、彼の工房でアシスタントとして働き始めたのです。これ以降「シモン」は真面目に働き、弓製作の技術を飛躍的に向上させていきます。そして、この時期以降の「ドミニク・ペカット」の黄金期の作品作りに極めて大きく貢献したのです。
その結果、数年後には「ペカット」の師匠だった、時の大楽器商「J.B.ヴィヨーム」の目にとまり、その工房にも通うこととなり、さらに活躍の場を広げていきます。
「シモン」は元来、仕事の早さには定評があったため、新しい弓の開発に力を入れていた「ヴィヨーム」からの要求に応え、様々なスタイルの弓を製作しています。毛替えが簡単にできる“セルフ・リヘアリング”といわれる弓や、フロッグにフェルールや貝スライド、ヒールプレート、四角板も何も施さない、楔で弓毛を固定するだけの非常にシンプルなスタイルの作品等も製作しています。
ただ、これらの「ヴィヨーム」による新しい試みは、殆どが失敗に終わり、「F.X.トルテ」が発明した現代弓のスタイルに変わることはありませんでした。
セルフ・リヘアリング
... 演奏者自身で簡単に毛替えができるようにと、ヴィヨームが考案したセルフ・リヘアリングの弓のヘッド。
バランスよく均一で綺麗に毛替えをすることが困難な為失敗に終わった。
楔で弓毛を固定するシンプルなスタイル
... ヴィヨームが考案した弓のフロッグの一つで、シンプルで無駄がなく音色は良いのだが、フェルールがないため弓毛が不安定で、全体のバランスも崩れて弾きにくくなってしまった。
しかし、この時期の「シモン」は、「ペカット」と共に弓製作を行い、最も充実していた時期で、元来のノーマル・スタイルで「ヴィヨーム」のために製作した、いわゆる「シモン・ヴィヨーム」と呼ばれる作品には、隠れた銘弓と呼ばれる見事な作品が存在します。事実これらの弓は、歴史的に名を残した巨匠ヴァイオリニスト達にも愛奏されていて、このことからも初期の「シモン・ヴィヨーム」の作品の素晴らしさが伺えます。
その後も「シモン」の活躍は続き、安定して素晴らしい弓を製作していきます。そのため「ペカット」からの信頼は厚く、1847年には「ペカット」がミルクールに帰郷することになったため、「シモン」はパリでの「ペカット」の仕事をすべて引き継ぐことになったのです。
そして1848年からは、以前に同じ「ペカット」工房で働いていた元同僚の「ヨーゼフ・アンリ」と共に弓製作を行います。この時期、二人が製作した作品は非常に似ていて、“SIMON”と刻印の押された弓には「アンリ」によって製作された作品が多く存在します。しかし、互いに頑固で個性が強かった二人の関係はあまり長く続かず、1851年に「アンリ」が独立して自身の工房を構えたため、その後「シモン」は一人でこの工房を運営しました。
この時期以降「シモン」が製作した作品には、“SIMON PARIS”と刻印された作品があらわれます。これらの弓は、すべて「シモン」自身によって製作された緻密で端正な完成度の高い作品が多く、大変人気があります。
その後、1850年代半ばから1860年代にかけて、「シモン」は再び「ヴィヨーム」のために数多くの弓を製作していきます。これらの作品の多くは、フロッグのアンダーレールが丸く、全体の形状も少し丸みを帯びた「ヴィヨーム・フロッグ」
※
と呼ばれるスタイルで製作されていて、“VUILLAUME PARIS”と刻印が押されています。
「ヴィヨーム」が開発したこの「ヴィヨーム・フロッグ」は、「シモン」や「ニコラ・マリーン」と、その後のフランスで最も影響力を持つことになる「フランソワ・ニコラ・ヴォアラン」等によって成功したと言えるかもしれません。
これまで、弓の様々な箇所の開発を試みてきた「ヴィヨーム」による発明の唯一の成功です。
しかしながら「ヴィヨーム・フロッグ」は、演奏時に横に倒れやすい欠点を持っているなど、好みは別れるものの、「トルテ」が開発した従来の「ノーマル・フロッグ」と比べ、特段優れている点があるわけでもないため、現在「ヴィヨーム・フロッグ」で弓製作を行う製作家がほとんどいないのが現状です。
※「ヴィヨーム・フロッグ」
... スティックの八角の一部を丸く削って、その上にフロッグをのせている。フェルールも半月ではなく、より丸みを帯びているため弓毛の幅が狭くなり不安定。
「ノーマル・フロッグ」
... スティックの八角にそのままフロッグをのせている。フェルールは半月で弓毛の幅が広く安定している。
なお、この時期には「ピクチャーズ・フロッグ」と呼ばれる、「ヴィヨーム・フロッグ」の貝目に「マイクロ・フォト」が埋め込まれている作品が存在していて、これらは人気の高いコレクターズ・アイテムになっております。
1860年以降も「シモン」は、「ヴィヨーム」だけでなく、「ガン兄弟」などのためにも弓を製作して、先の「ヴォアラン」をはじめ、「ヴィヨーム」工房で働く多くの後輩たちに強い影響を及ぼします。また、この時期以降は自身の“SIMON PARIS”と刻印が押された作品が多くなり、それらは弓のスティックが太くて重量のある弓が多く、非常に力強い作品となっています。
そして、60歳を過ぎた後も「シモン」はリタイアすることなく、生涯弓製作に力を注ぎ、非常に多くの作品を残して、1881年12月12日に73歳で他界したのです。
今回ご紹介する「ピエール・シモン」の作品、“ex ミラノッロ”は、1848年からヴァイオリニストの「テレサ・ミラノッロ」がコンサートで使用していた作品です。この弓が製作された時期は、「シモン」が「ぺカット」の工房を引き継いだ翌年になりますが、作風は「ぺカット」の様な力強いスタイルではなく、また「シモン」の典型的な作風とも異なる形状をしているため、ミラノッロからの注文に合わせて製作された作品だと考えられます。その特徴は、繊細でしなやかな作りをしていて、非常にバランスが良く、独自の粘りを持っていて、力強さの中にも温かみのある大変素晴らしい作品となっております。
なお、同作品はヴァイオリニストの五嶋みどりさんが長期間保有していた作品で、1990年にニューヨークで行われたコンサート、“ライブ・アット・カーネギーホール”の際にもこの弓で演奏されております。
Pierre Simon Paris 1848 ex Milanollo
もう一つご紹介する1850年製の作品は、フロッグがノーマル・スタイルの金黒檀で製作されていて、弓のヘッドは「ドミニク・ペカット」の作品と見間違えるほど見事で力強い作品となっております。 なお、状態においても製作されてから170年以上の間、殆ど使用されずに保管されてきた、ミントコンディションの大変希少な作品となります。
Pierre Simon Paris 1850
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参考文献
「Universal Dictionary of violin & bow makers」 著 William Henle
「Liuteria Itariana」 著 Eric Blot
「L’Archet」 著 Bernard Millant, Jean Francois Raffin