Eugene Nicolas Sartory
 父「エミール・フランソワ・ウーシャー」(1872〜1951)は、14才の頃から、フランスの弓製作家「ユージン・クニオ」(通称「クニオ・ユーリ」)の工房に弟子入りして弓製作を始めます。特別に優れた才能には恵まれていなかった「フランソワ」は、真面目に働き、努力を重ねることで徐々に実力をつけ、最大12人の職人が働いていたこの工房で、最も師匠から信頼される助手に成長します。そして、24才の時に結婚して10人の子供を授かります。その内の9人は女子で、唯一生まれた男子が、息子「エミール・アウグスト・ウーシャー」でした。

 「エミール・アウグスト・ウーシャー」(1900〜1969)は、13才の頃から父と同じ「クニオ・ユーリ」の工房で弓製作を学びます。しかしこの時すでに「クニオ・ユーリ」は他界していて、「クニオ・ユーリ」の妻と、父「フランソワ」がこの工房を引き継いでいました。そのため「ウーシャー」は、「クニオ・ユーリ」から直接手ほどきを受けることはなく、父から手ほどきを受けたため、この時期の作品は父と同じスタイルで製作されています。その特徴は、ヘッドの頬がとても平らで、角ばった作品でした。また、フロッグは時折「ヴィヨーム」スタイルで製作されています。

 その後、父「フランソワ」は1922年に「クニオ・ユーリ」の工房を閉鎖します。
そして、1923年からミルクールに新しく自身の工房を設立したため、「ウーシャー」もこの工房で父と共に働きました。




 この頃からメキメキと実力をつけ、優れた才能を開花させていった「ウーシャー」は、さらに研究を重ね、自身のスタイルを模索していきます。以降、父が製作した弓とは違ったスタイルの弓も数多く製作していきますが、それらの作品には父と同じ“EMILE OUCHARD”の刻印が押されています。
その後、この工房で働いていた15人の職人の中でも、突出して優れた作品を製作するまでに成長した「ウーシャー」は、ほかの職人と同じ待遇である事や、経営方針等に不満があったため、父との争いが絶えなかったようです。




 そして1937年に「ウーシャー」は、父から名目上は工房を譲り受けるのですが、実質的な経営権を父が握っていた為、雇用の問題等は何も解決されず、親子関係はさらに悪化していきます。一方で「ウーシャー」の作品はさら進化を続け、より洗練され、ヘッドは「ヴォアラン」や「ラミー」に影響を受けたような、エレガントで美しいラウンド型の非常に精密な作品を製作していきます。
また、この頃からイギリスの名門 「ヒル」スタイル * のアンダースライドを取り入れた弓を製作しています。なお、「ウーシャー」はこのスタイルを生涯貫き、後のフランス弓製作家達に大きな影響を及ぼしていきます。

 工房長だったこの時期からの作品には、父の刻印は廃止され、“E.A.OUCHARD FILS”と押されています。


*「ヒル」スタイル:スティックに溝を掘り、スライドの道を作ることでフロッグを安定させ、より丈夫で長持ちするよう工夫されたスタイル。このスタイルは「ヴィヨーム」スタイルに似ているが、「ヴィヨーム」スタイルは溝がラウンドで、フロッグが不安定な欠点を持っていたが、「ヒル」スタイルは角のためこの欠点を克服している





 その後も父は息子に経営を譲ることはなく、意見の対立が続いたため、遂に「ウーシャー」は1940年に工房を出てパリに行き、自身の工房を構えます。ちょうどこの頃「ウーシャー」の作品の研究も完成を迎え、自身のスタイルがほぼ確立された時期でした。

 独立後、精神的にも集中して仕事に打ち込める環境が整ったためか、その後は水を得た魚のように伸び伸びと働き、見事な作品を数多く製作していきます。その迷いのない自信に溢れた作品は、パリに来る前までの少し繊細で華奢だった作品と比べ、ヘッドは厚みを増して力強くなり、フロッグも頑丈で安定感のある「ヒル」スタイルを完全に自分のものとし、彼は黄金期を迎えます。
そして、1942年にパリで行われた職人コンテストで1位を獲得し、名実ともに優れた製作家として認められていったのです。
なお、この頃の作品には、“E.A.OUCHARD PARIS”の刻印が押されています。




 戦後、1946年から「ウーシャー」は、予てより親交のあった「マックス・ミラン」の紹介と、巨匠ヴァイオリニスト「ユーディ・メニューイン」の支援を受け、アメリカのニューヨークに製作拠点を移します。作品もより大胆で力強くなり、黄金期後半を迎えます。
この時期からの作品には、“EMILE A. OUCHARD” の刻印が押されています。

 そして1948年には、ニューヨークからイリノイ州に引っ越し、シカゴの大楽器商「ウィリアム・ルイス & サン」社と、全ての作品の独占販売特許契約を結びます。これにより、数多くの作品を安定して販売することで「ウーシャー」は大きな収入を得たのです。




    
Emile Auguste Ouchard ... 年代ごとの比較




 その後、1951年にイリノイ州の家を売却してニューヨークに戻りますが、「ウィリアム・ルイス & サン」社との契約は、生涯続けました
そしてここでは、ニューヨークのブローカー「ジャック・フランセ」が用意した57番通りの部屋で仕事をします。この時期「ウーシャー」は、極めて完成度の高い「ペカット」コピーの作品を製作していますが、おそらくこれらは「ジャック・フランセ」からの提案で製作された作品だと考えられます。 「ウィリアム・ルイス & サン」社との契約があったため、違ったスタイルの作品を製作したのかもしれません。

 また、シカゴの「ウォーレン」社など、他の会社にも内密に販売していたことが後に分かっています。そして、毎年9月にフランスに帰国した際にも、自身の弓を直接販売していました。つまり「ウーシャー」はビジネス面において、あまり誠実ではなかったようです。
何れにしても、この「ペカット」コピーの作品は、筆者が「ウーシャー」の作品の中でも、最も演奏家にお勧めする素晴らしい弓ですが、製作本数が非常に少なく入手困難な作品となります。




 その後、1955年に「ウーシャー」は、さらに品質の良い作品を製作するため、美しいフェルナンブーコの木材を選定しに自らブラジルへ発ちます。
そして、後に「ウーシャー」の作品の代名詞ともなる“CONSTELLATION” (星屑)と呼ばれる見事な作品を製作しています。

 その後、13年間のアメリカでの生活を終え、1960年にフランスに帰国します。
晩年を迎えた「ウーシャー」は、自宅前の車庫で工房を開きますが、病のせいもあり、そこで製作した作品は、黄金期の作品と比べるとキレがなく品質も落ちていきます。
そして、年齢と共に手が思うように動かなくなり、「ウーシャー」自身が若い頃の作品と比べてショックを受けたこともあったのですが、諦めずに弓作りを続けます。

 しかし製作本数は徐々に減少していき、1969年2月14日に他界しました。








 今回ご紹介する「エミール・アウグスト・ウーシャー」の作品は、1958年にニューヨークで製作された“CONSTELLATION” (星屑)と呼ばれる作品です。ヘッドは、「ウーシャー」自身の典型的なスタイルで製作されていて、チップは象牙ではなく金が使用されています。また、フロッグは金鼈甲で製作されていて、貝目の代わりに金の星が6つ施された非常にアメリカチックな作品となっております。







 もう一つご紹介する作品は、1953年にニューヨークで製作された「ペカット」コピーの作品です。ヘッドは「ペカット」と見間違えるほど完璧にコピーされていて、材質も通常の自身のスタイルで製作される際に使用される木材とは異なり、奥行きのある素晴らしい材料で製作されております。なお、フロッグは「ペカット」コピーの作品のため、「ヒル」スタイルではなく、ノーマルスタイルで製作されております。












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参考文献
「Universal Dictionary of violin & bow makers」  著 William Henle
「Liuteria Itariana」  著 Eric Blot
「L’Archet」  著 Bernard Millant, Jean Francois Raffin