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「ジャコモ・ビジャッキ」(1900〜1995)と「レアンドロJr.・ビジャッキ」(1904〜1982)は、20世紀の弦楽器製作におけるミラノの繁栄に最も貢献した製作家「レアンドロ・ビジャッキ」の3番目、4番目の息子としてミラノに生まれ、幼少の頃より父「レアンドロ」や、その弟子の「イジーノ・セデルチ」(1884〜1983)、そして兄の「カルロ」等から弦楽器製作を学びます。その後、弦楽器製作だけでなく、修理や修復、調整、販売、鑑定など、多岐にわたり父や兄弟から学び、若い頃から父の会社とも深く関わって行きます。
そして、長男の「アンドレア」と次男の「カルロ」が父の元を離れたこともあり、1932年に「ジャコモ」と「レアンドロJr.」は、共に協力して父の楽器商としての事業全体を引き継いだのです。
この二人の兄弟は、常に密接に関わり、同じラベルを使っていたため、どちらか一方が製作した楽器だと区別されることはありません。それどころか、父「レアンドロ」が、アントニアッツィ兄弟に楽器を作らせ、得意だったその仕上げとニス塗りだけを行い作品を完成させるといった手法も概ね引き継ぎ、ビジャッキ社と関わりのあった多くの職人たちに外注で製作させたモノを仕上げ、セットアップ、調整して、数多くの作品を販売していたのです。
そのためこれらの作品は、製作時期や製作者により、作品毎の出来不出来が著しいのですが、個性的なその仕上げのニスはほとんど同じであるため、良くも悪くも一目で「ジャコモ&レアンドロJr.」の作品であることがわかるほどの強い個性を持っています。
全ての作品がそうではないのですが、これら協力関係にあった製作者には、「イジーノ・セデルチ」をはじめ、その息子の「ルチアーノ・セデルチ」「カミッロ・マンデリ」「ピエロ・パラヴィッチーニ」「ジュゼッペ・ステファニーニ」などがおります。
ここで興味深いことは、これらの製作者たちが、「ビジャッキ」のために製作した楽器と、彼ら自身のために製作した楽器とでは、その作風が見事に差別化された形で仕上げられている点です。それらはどちらの方が良い楽器なのかについては、作品毎によって違うため申し上げられませんが、数多くの作品を研究していくことにより、それぞれの作風に表れる製作者の癖は、何の作品であっても確かに見えてくるのです。
その後「ジャコモ&レアンドロJr.・ビジャッキ」社は、1972年まで事業を続けますが、楽器製作以外の分野でも活躍していたようで、時の巨匠奏者「パブロ・カザルス」や「ユーディ・メニューイン」なども、修理や調整などでこの会社と関わることが多かったようです。
しかしながら、鑑定において「ジャコモ&レアンドロJr.・ビジャッキ」の鑑定書は、ジャッジミスの紙が非常に多いため、現在ではその信憑性が極めて低くなっております。
よって、この鑑定書のみが付いている楽器をお持ちの方は、セカンドオピニオンの意味で信頼性の高い鑑定書も合わせて発行してもらうことをお勧めします。
今回ご紹介する1926年製の「ジャコモ&レアンドロJr.・ビジャッキ」の作品は、兵役から戻り、本気で弦楽器製作を始めた年の極めてレアな時期に製作された「アマティー」モデルの作品です。父「レアンドロ」の事業を引き継ぐ前に「セデルチ」や兄「カルロ」に習いながら、情熱を持って一つ一つの作業を丁寧に製作されたことが強く伺えます。
その作風は、20世紀半ば以降に製作された作品とは格違いの完成度を持つ素晴らしい作品で、楽器のフォルムやサイズ感、作りと細工、アーチやニス、材質等全てにおいて完璧で、状態もほぼ未使用のミントコンディションと非の打ち所のない見事な作品です。
1959年製の作品は「ストラディヴァリ」モデルの作品で、「ステファニーニ」によって製作されたモノを「ジャコモ&レアンドロJr.・ビジャッキ」が仕上げた作品です。
その特徴は、縁周りのパイプラインが肉厚で力強く、楽器全体の重量があり、少し赤味がかったオレンジブラウンのニスで仕上げられています。この時期に製作された「ジャコモ&レアンドロJr.・ビジャッキ」の典型的なスタイルとテイストを持つ、バランスのとれた美しい作品と言えるでしょう。
なお、この時期の作品には、音が硬く、鳴りの悪い楽器が非常に多いため、しっかりと選定することが極めて重要でしょう。
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