Francois Nicolas Voirin  「フランソワ・ニコラ・ヴォアラン」(1833〜1885)は、パリの名門“ヴィヨーム工房”最後の大物製作家として君臨し、「トゥルテ」「ペカット」「シモン」などを中心とするオールド・ボウの時代から、「ラミー」「サルトリー」「ウーシャ」などを中心とするモダン・ボウの時代へと移り変わる時期に極めて重要な役割を果たした、フランスの楽弓製作史上、欠かすことの出来ない重要な人物です。
その作品は、当時の演奏家達から「モダン・トルテ」と呼ばれ、それまで主流だった「ペカット」の影響によるスクエア・スタイルの弓製作を、「トルテ」の初期の作品に倣ったラウンド・スタイルへと変革させていくものでした。




 1833年10月1日にフランスのミルクールで、オルガン製作家の父「ニコラ」のもとに生まれた「ヴォアラン」は、12才の頃から「ジーン・シモン」の下で弓製作をはじめます。
その生まれ持った才能と手先の器用さは、やがて評判となり、ミルクールではとても注目される存在でした。
そして、1855年に22才でパリに出て、従兄弟だった大楽器商「ヴィヨーム」の工房で働くことになります。




 すでに「ヴィヨーム」から高い評価を受けていた「ヴォアラン」は、良い住まいを与えられるなど、“ヴィヨーム工房”で雇われていた他の職人たちよりも優遇されていて、はじめから独立した形での弓製作を許されたのです。
そのため、それまで「ドミニク・ペカット」の圧倒的な強い影響の下で弓を製作する他の“ヴィヨーム工房”の職人たちと違い、「ヴォアラン」は自身の判断で「トルテ」や「ピエール・シモン」の作品に強い影響を受けた弓を製作しました。勿論「ヴィヨーム」からの影響も常に受けていて、「ヴィヨーム」が発明した様々なスタイルの弓も製作し、数多く「ヴィヨーム・フロッグ」を取り入れた作品も製作しています。
それらの作品は、「ヴィヨーム」から非常に高い評価を受け、すぐに「ヴォアラン」は、“ヴィヨーム工房”の指導者の役割を与えられます。その教え子の中には、「ドミニク・ペカット」の甥である「シャルル・ペカット」もいました。




 「ヴィヨーム・フロッグ」の貝目の中に、「ヴィヨーム」の肖像写真が埋め込まれている作品を“ピクチャーズ・フロッグ”と言いますが、この時期以降の“ピクチャーズ・フロッグ”の弓には、「ヴィヨーム」の肖像写真ではなく、「ヴォアラン」の肖像写真が埋め込まれた作品が多く存在します。
このことからも「ヴィヨーム」が、「ヴォアラン」に対して極めて厚い信頼を寄せていたことがわかります。
また、1867年にパリで行われた展示会の際には、数多くの作品を出品する機会を「ヴォアラン」に施し、多くのビジネスチャンスを与えました。
しかし、「ヴィヨーム」とは違った考えを持っていた頑固な「ヴォアラン」は、成功とともにその言動が強くなっていき、二人の関係は悪化していったのです。









 その後「ヴォアラン」は、1869年9月3日に結婚したのを機に「ヴィヨーム」と働くことをやめ、1870年1月1日から自身の店を構えます。
この頃から「ヴォアラン」は、かねてから強い尊敬を抱いていた「F.X.トルテ」の作品をさらに研究し、その初期の作品に多い“ヴィオッティ・モデル”の作品を参考にした自身のスタイルを確立して行きます。
このことは、後にフランスの弓製作の歴史を大きく変えて行くことになります。



Francois Nicolas Voirin  それまでフランスの弓製作では、「ペカット」に影響を受けたスクエア・スタイルの弓製作が主だったのですが、この時期以降「ヴォアラン」が製作したラウンド・スタイルの作品が、当時の著名な演奏家達に『モダン・トルテ』と言わしめるほどの素晴らしい高評価を受け、瞬く間に大流行したのです。
このことにより、後の一流製弓作家の「ラミー」「トーマッサン」「サルトリー」「フェティーク」「バザン」などを中心とする多くの弓製作家たちが、挙ってこのラウンド・スタイルでの弓製作を行ったのです。
その後、「エミール・アウグスト・ウーシャ」の製作した、ペカットコピーの作品などの影響により、スクエア・スタイルの作品が再び増えていきますが、少なくとも19世紀後半から20世紀の前半は、殆どの弓製作家がこのラウンド・スタイルで弓を製作するほど「ヴォアラン」の影響力は大きかったと言えます。




 その作品の特徴は、「トルテ」の初期の弓と非常に似ているのですが、「トルテ」の作品には、エレガントな美しさの中に、迷いのない勢いと力強い細工の削りが感じとれます。
一方「ヴォアラン」の作品は、型やフォルム、細工と作り、その削りや仕上げ、音に至るまで、それら全てが女性的な繊細さと、エレガントでしなやかな美しさを持ち、特別な柔らかい倍音の響きを持っていました。そのため作品の多くは弓の重量が軽く、時に「弱い」などと揶揄されることもあるのですが、室内楽ではこれら軽量スタイルの作品は素晴らしい役目を果たしてくれます。そのことは「ヴォアラン」自身もわかっていたようで、演奏家からの要望により区分し、時に密度の高い強固な木材を使用して、少し太めで重量のある作品も製作しています。これらの弓は、エレガントで美しいラウンド・スタイルを変えることなく、柔らかで綺麗な音色と力強い音量を両立させていて、ソロ演奏にも活躍できるほどの見事な作品でした。
そのためこれらの作品は、先の軽量スタイルの作品の倍以上の価格で取引されることもあるため、同じ「ヴォアラン」作の弓であっても、演奏家の求めるものによりしっかりと撰定する必要があります。



 その後も人気があり、非常に多くの製作依頼を受けていた「ヴォアラン」は、1872年から「ルイ・トーマッサン」を弟子として雇い入れます。
また、1876年からは「ジュゼッペ・アルフレッド・ラミー」をアシスタントに迎え、彼らは共に協力して弓製作を行います。しかしそれらは、共同製作の作品とそれぞれ個別に製作した作品とをしっかり区分けしていたのです。これにより、争うことなく非常に良い関係を続けた彼らは、その後「ヴォアラン」が他界するまで素晴らしい作品を数多く製作して、同世代の弓製作家達に多大な影響を与え、それまでの伝統を塗り替えるほどの素晴らしい発展をもたらしたのです。


Francois Nicolas Voirin


 なお、「ヴォアラン」は1885年6月4日、国際展示会に出品予定の弓を持ったまま、何かに打たれたように突然路上に倒れこみ、脳卒中により他界しました。
彼の死後、この国際展示会で作品は金賞を受賞し、妻が代理で賞を受け取ったのです。
「ヴォアラン」が製作した全ての作品は、現在も多くの演奏家、収集家、楽器商、製作家達に求められています。







 今回ご紹介する「フランソワ・ニコラ・ヴォアラン」の作品は、1880年頃に製作された彼の弓を代表する素晴らしい金鼈甲の作品で、ヘッドは優雅で繊細な美しさを持つ「ヴォアラン」の典型的なスタイルで製作されています。正に「トルテ」の初期の作品に多い“ヴィオッティ・モデル”をコピーしたラウンド・スタイルの作品ですが、スティックの太さや反りの形状は「ヴォアラン」独自のスタイルで製作されております。また、フロッグはヴィヨーム・フロッグではなくノーマル・フロッグで、正確かつ緻密に製作されています。状態も100年以上の期間、ほぼ使用されずに大切に保管されてきたミントコンディションで、非の打ち所がない大変見事な作品です。







 もう一つご紹介する作品は、1878年に製作された作品で、同年に開催された国際展示会で銀メダルを受賞した作品となります。こちらも「ヴォアラン」作の弓であることが一目でわかるほど典型的なスタイルで製作されていて、美しく輝きのある極上の木材で製作されたスティックに、フロッグはノーマル・フロッグの金黒檀があしらわれた大変素晴らしい作品となります。











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参考文献
「Universal Dictionary of violin & bow makers」  著 William Henle
「Liuteria Itariana」  著 Eric Blot
「L’Archet」  著 Bernard Millant, Jean Francois Raffin