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弦楽器製作史上、もっとも偉大な製作家としてその名を轟かせる「アントニオ・ストラディヴァリ」(1644〜1737)は、300年以上経った今なお、誰も超えることの出来ない最高傑作品を製作したことで広く知られています。
その作品は1000挺を超え、約600挺ほどが現存すると言われていますが、それらの作品は、「アマティー期」(1666〜1689)、「ロングパターン期」(1690〜1699)、「黄金期」(1700〜1725)、「晩年」(1726〜1737)と、大きく4つの時期に分類されます。
「ストラディヴァリ」は、10歳代の後半頃から、クレモナというイタリアにある小さな田舎街で、木彫職人として修行をはじめます。その後、22歳の頃から、当時圧倒的に影響力のあった「ニコラ・アマティー」の下で弦楽器の製作を学びました。「ストラディヴァリ」が初めて製作したとされる1666年製のヴァイオリンのオリジナルラベルには、 [1666年にクレモナで、ニコラ・アマティーの弟子のストラディヴァリが製作した] と記されています。しかし、「アマティー」が残した弟子のリストには、「ストラディヴァリ」の名が記されておりません。つまり、「ストラディヴァリ」は、ごく初期の時期に「アマティー」の工房で勉強したことのある、通いの生徒だったのです。
実際、「アマティー」及びその愛弟子だった「ガルネリ」一族と、「ストラディヴァリ」とでは、その製作方法の一部に若干の違いがあるのです。
さらに「ストラディヴァリ」は、「アマティー」の作品の中でもっとも評価されている「グランド・パターン」と呼ばれる大型のモデルでの製作は行っていません。それどころか1670年代には、小型の楽器を多く製作しています。しかしながら、楽器の基本形は、初めて製作を習った「アマティー」のモデルであり、その作品に強くインスパイアされているため、この時期に製作された作品は、「アマティー期」と言われています。
この時期すでに「ストラディヴァリ」は、見事な刃物捌きによる美しいパフリングの細工や、縁周りの仕上げなど、天才的な才能を発揮して、他の追従を許さぬほどの秀逸な作品を製作しています。その自信の表れだったのか「ストラディヴァリ」は、この頃から象嵌細工の施された極めて芸術性の高い素晴らしい作品も製作し、木彫職人としてだけではなく、製図の才能をも証明して見せたのです。
また、チェロの製作では、「アマティー」をはじめとする同時期の他の製作家が一様に、小型のモデルで製作していたのに反し、「ストラディヴァリ」は大型のモデルで製作していました。この事からも「ストラディヴァリ」が異端児であり、「アマティー」の愛弟子ではなかったことが伺えます。
しかし、1684年に「アマティー」が他界した頃から、ヴァイオリンのボディーサイズを大きくしていきます。
木彫の作品としてだけでなく、音を奏でる楽器としての研究の始まりです。
木材は、地元で採れた優美な楓材を“スラブカット”と呼ばれる板目の木取りで裏板に使用するなどの改良も重ねていきますが、丸みの強い高すぎるアーチの楽器が多く、美しい音色は持っているものの、力強い音量との両立を獲得するまでには至っておりませんでした。それでも「ストラディヴァリ」の優れた刃物捌きによる細工のキレ味は、見事と言うほかなく、黄金比を用いた均一で存在感のある美しい作品の完成度は、すでに十分すぎるほど熟していました。
その後、1690年代に入ると「ストラディヴァリ」は、音への研究をさらに深めるため、ボディーレングスが360mmを超える、より大型の楽器を製作していきます。(ロングパターン期)
しかしながらこれらの作品の多くは、低音がビオラのように太くなりすぎてしまい、ソプラノ楽器としてもっとも重要な高音の輝きも鈍ってしまったのです。その為、楽器の容積を少なくする目的で、ボディーの横幅を細身にし、アーチを低くするなど、様々な実験を重ねていきます。そして、10年以上にも及ぶ研究の結果「ストラディヴァリ」は、もっとも理想的なヴァイオリンのボディーサイズを355mm(±2mm)と結論つけたのです。
以後、300年以上経った現在も、このサイズは変わることがありません。
「アンドレア・アマティー」によって発明された弦楽器「ヴァイオリン」の正確な寸法は、この時「ストラディヴァリ」により確立されたのです。
そして、1700年から「ストラディヴァリ」の黄金期(初期)が始まるのですが、1707年からの黄金期の中の黄金期に向けて、さらに細部の研究と改良が続きます。
まず、楽器の横幅を広くして、アーチの高さをミディアムとし、その真ん中の丸みを平たくし、台形型のアーチにすることで、美しい音色と力強い音量の両立を獲得します。
さらに、楽器のリブ(横板)を高くすることで、クリアで力強い高音の輝きを失うことなく、豊かで厚みのある中低音の響きを生み出すことにも成功したのです。
このことが、1707年以降のチェロ「フォルマB」* の誕生に貢献したことは言うまでもありません。
そして1707年から「ストラディヴァリ」は、完璧に仕立てられたこれ以上ないモデルで、数多くの迷いなき作品を世に送り出して行ったのです。これらの作品が、「ストラディヴァリ」による、“黄金期の中の黄金期”と呼ばれる最高傑作品です。
1720年以降は、黄金期(円熟期)となりますが、この時期も安定してバランスの良い美しい作品を製作しています。ゴールドに輝く下地の上に独自の鮮やかな赤褐色のニスをのせた、貫禄のある作品が多くなっています。
そして1725年頃からの作品(晩年)は、長男「フランチェスコ」(1671〜1743)、末っ子「オモボノ」(1679〜1742)や、その他の弟子の手が入った共同制作の作品がより多く存在していきます。
これらの作品は、「黄金期」の様な圧巻の美しさと、勢いのある細工のキレなどは見られないものの、晩年の作品にあらわれる独特の渋みや、深い味わいのある魅力的な作品が、多くのファンを魅了している事も周知の事実です。
そして、1737年12月18日に「アントニオ・ストラディヴァリ」は享年93歳で他界し、5年後の1742年に「オモボノ」(享年63歳)が、翌1743年に「フランチェスコ」(享年72歳)が他界し、「ストラディヴァリ」一族による弦楽器製作の歴史は幕を閉じたのです。
今回ご紹介する1701年製の「アントニオ・ストラディヴァリ」Ex-Markeesは、ボディーレングスが357mmと若干大きめで、ロングパターン期の名残を少しだけ残し、アマティー期の美しく流麗なアーチングを少し低めに設定し、さらに楽器の横幅を広く力強い楽器に仕上げた、黄金期(初期)を代表する素晴らしい作品です。
「アマティー期」の特徴である、高貴で気品あるクリアな美しい倍音の響きと、黄金期特有の「ダイヤモンド・トーン」と呼ばれる煌びやかで輝きのある高音の響きを融合させ、さらに豊かで力強く奥深い中低音の音色を両立させた見事な楽器です。正に天才が奢ることなく研鑽を積み、鍛錬を重ねた果てに生み出した、秀作と呼ぶにふさわしい作品となっております。
なお、Ex-Markeesの名は、ハンガリーのヴァイオリニスト「ヨーゼフ・ヨアヒム」の弟子の「カール・マーキー」が使用していたことに由来します。
*「フォルマB」:「ストラディヴァリ」が製作したチェロの型の一つで、完璧なサイズ感に仕立てられた究極のモデル
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