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ジョゼッペ・アントニオ・ロッカ(1807〜1865)は、トリノに近いバルバレスコで生まれました。彼の父親はヴァイオリン製作家で主にガルネリのコピーを製作していましたが、成功していなかったため、一家は貧しい生活を余儀なくされました。それでもロッカはヴァイオリン製作家の道を選び、真面目に励み続けますが、1830年、伝染病で母と妹を同じ日に亡くします。1832年には二つ年下のアンナ・マリアと結婚し、長女を授かったものの、わずか2年で妻と死別をしてしまいます。
苦難の時を過ごしていたロッカは、同年、当時活躍していたジョバンニ・F・プレセンダにその才能を高く評価され、彼の工房で働くことになるのです。しかし、貧しかったロッカは良い材料を買うことが出来ず、 殆どのヴァイオリン製作家達が選ばなかった、節があるもの、樹脂が黒くでているもの、木目が均一でなく歪んでいるもの、裏板のトラ目がきれいに出ていないもの等を使用し、多くのヴァイオリンを製作しました。そのためロッカは、材質の悪さを補うためにも、さらに努力と研究を重ねます。
ところが、1842年に二人目の妻とも死別してしまいます。 しかしここでも同年に彼のキャリアの中で、もっとも重要な転機となる運命的な出会いを果たします。ヴァイオリンハンターの名で知られるルイジ・タリシオがプレセンダの工房を訪れたのです。そうしてロッカは、タリシオのコレクションの中でも銘器中の銘器、ストラディヴァリ「Messiah」と、ガルネリ「Alard」のメンテナンスを担当し、修理することになるのです。この頃から彼は、さらに深くクレモナの楽器の研究をし、主にメサイアとアラールのコピーを製作していきます。しかし、それは単なる模倣ではなく、音に対する独自の探究の結果、どれもオリジナリティーに富んだすばらしい作品となりました。
この1843年製の楽器“ex Sigerman”からは、まさにそのことが窺われます。 フォームはストラディヴァリの型を使用していますが、アーチは極めて低いガルネリをイメージさせます。そしてボディーの幅を少しワイドにし、ゴールドの地色とダイヤモンドトーンに由来するレッドバーニッシュを併せ持つ、あのストラディヴァリのそれに匹敵する風格をも持ち合わせているのです。 そして何より、良い材料を殆ど持っていなかったロッカが、師プレセンダに勝るとも劣らない、抜群の材料で製作していることからも、この楽器“ex Sigerman”が、彼の作品の中でも“渾身の秀作”であることが解ります。 その後ロッカは、1844年にトリノで行われたエキシビジョンで銅メダルを獲得し、1846年のジェノヴァ、1850年に再びトリノで人々に賞賛され、成功を収めていくのです。
葉加瀬太郎さんは、そんな駿才ロッカの精神性と、貧しい最中の材料で楽器を製作した彼の挑戦する心意気、そして太く力強い音に惹かれ、1845年製のロッカ“ex Taro”を7年間使用していました。しかし、この楽器“ex Sigerman”に出会い、それまでとは異質のレベルを感じ、玉石混交数ある作品のなかでも傑出した強い魂を感じたそうです。
この楽器の音をお聴きになりたい方は、葉加瀬太郎さんの CD『JAPONISM』でお聴きいただけます。
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