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リカルド・アントニアッツィ / ロメオ・アントニアッツィ
 「リカルド・アントニアッツィ」(1853〜1912)と「ロメオ・アントニアッツィ」(1862〜1925)は、イタリアのクレモナで弦楽器製作家だった父「ガエタノ・アントニアッツィ」の6番目、8番目の子として生まれました。父「ガエタノ」は、“クレモナの栄光”と呼ばれた弦楽器製作の伝統を受け継ぐ最後の名工「J.B.チェルティ」の孫「エンリコ・チェルティ」の弟子でした。
しかし、この「J.B.チェルティ」を最後にクレモナの栄光は、トリノにその座を明け渡す事になってしまうのですが、それはこのJ.B.の息子「ジュゼッペ」やその息子「ガエタノ」の作品が個性派へと変化していき、さらにその弟子の「ガエタノ・アントニアッツィ」の行き過ぎた個性による弦楽器製作がクレモナの王道から外れてしまった事に由来します。



 そして1870年に、父「ガエタノ」は息子の「リカルド」や、その弟「ロメオ」を連れ、ミラノに弦楽器製作の場を移すのですが、ここでもあまり成功しなかったため、1880年には、フランスのニースで「ビアンキ」のために弦楽器製作を行いました。しかし、それも長くは続かず1886年に再びミラノに戻りますが、彼らはここで、後にミラノの大楽器商を築き上げる「レアンドロ・ビジャッキ」と運命的な出合いを果たすのです。




リカルド・アントニアッツィ / ロメオ・アントニアッツィ

 ビジャッキは、幼い頃よりヴァイオリンの演奏がとても上手く、イタリアの古い作品の研究をしてそのコピー楽器を製作するなど、とても器用で発想力に富んだ人物で、何よりも経営能力に大変優れていました。
そんな彼と職人肌で不器用だったアントニアッツィ兄弟はすぐに意気投合し、共に働く事を決意します。そしてこの工房はすぐに有名になり、当時の一流演奏家や重要なコレクターが数多く訪れたため、修理や調整、販売などで、オールドイタリアンなどの素晴らしい楽器に触れる機会に恵まれていったのです。時に「ストラディヴァリ」や「ガルネリ」、「アマティ」など、クレモナの銘器にも触れ、ビジャッキとアントニアッツィ兄弟は、それらの研究をして楽器製作に励んだのです。
そして1890年頃から「リカルド・アントニアッツィ」と「ロメオ・アントニアッツ」は、ついにその才能を開花させ、素晴らしい作品を製作するようになりますが、ビジネス上の事情により楽器のラベルには、「ビジャッキ」や本人以外のラベルを貼られたものが多く存在します。
一方、父「ガエタノ」は日の目を見る事なく1897年に他界しますが、ちょうどこの頃、アントニアッツィ兄弟は一番脂の乗った時期で、彼らの黄金期は1904年まで続きます。また、この頃彼らは同時に多く若い弟子達の指導も行い、後にミラノに正統派の見事な楽器を取り戻す事となる「ペドラッツーニ」や「オルナッティ」、「ガリンベルティ」等を育て上げることに重要な役割を担ったのです。

しかしながらアントニアッツィ兄弟は1904年に「ビジャッキ」と仲違いをして彼の工房を離れ、その後は「モンツィーノ」や「バララッシーナ」の為に楽器製作を行います。
これらの工房では、主に弦楽器の大量生産を行っていたため、彼らはここでも多くの弟子達の指導を行いながら弦楽器製作を行うのですが、その作品は弟子が製作したものや共同製作による作品など、様々な楽器が玉石混合しており、ラフな細工のものやニスが大量生産特有の固くひび割れているものが多く、良い作品を探すのが困難な時期でもあります。





 この時期の「リカルド」の作品には、十字架にARのマークが入った作品がしばしば見られます。また、「ロメオ」の作品には、“メイド・イン・クレモナ”とラベルに記されたものがありますが、これは商売上の理由で書かれたもので、実際にはミラノで製作されており、クレモナでは製作されていません。
この事からも、この時期の作品が「ビジャッキ」の工房で銘器に触れながら研究を重ねて製作していた黄金期の作品と比べて劣っている事がわかりますが、ニスがしっとりと柔らかく情熱を燃やしながら丁寧に製作した素晴らしい作品も存在するので、慎重に見極める事が重要です。


 兄弟の作品を比較すると、兄「リカルド」の作品の方が、細工が繊細に綺麗でより安定していて、平均値で見ると、弟「ロメオ」よりも一枚上手な作品が多いのですが、「ロメオ」の作品には力強いものが多く、1906年にはコンクールで金賞を受賞しており、成功したときの作品には「リカルド」を凌ぐ見事な作品があることも事実です。




 今回ご紹介する1897年製の「リカルド・アントニアッツィ」の作品は、彼の黄金期の作品の中でも特に素晴らしい楽器で、貧しかった頃の作品にはない抜群の木材を使用しており、キレのある細工やバランスの良い隆起、そしてしっとりと柔らかで上質なニスなど、すべてが見事というべきもので、同年、最後まで評価される事なく他界した父「ガエタノ」に捧げた楽器かのごとく強い情熱を作品から感じとることができます。

 また、1904年製の「ロメオ・アントニアッツィ」は、彼の黄金期の中でも最後の時期の見事な作品で、ロメオらしい力強い縁周りや、丁寧でキレのある見事な細工、バランスの良い隆起と上質なニスによる仕上げなど、こちらも彼の作品を代表するもっとも素晴らしい作品の一つとなります。












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参考文献
「Universal Dictionary of violin & bow makers」  著 William Henle
「Liuteria Itariana」  著 Eric Blot
「L’Archet」  著 Bernard Millant, Jean Francois Raffin