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「レアンドロ・ビジャッキ」(1864〜1945)は、トリノとミラノの間に位置するカザーレ・モンフェラートに生まれます。幼少の頃から両親の影響ではじめたヴァイオリン演奏の練習に励んでいた「ビジャッキ」は、手先が非常に器用だったため、十代半ばから弦楽器の製作に興味を持ちはじめ、独学でヴァイオリンを製作します。
その後、製作した楽器を「アントニアッツィ」に見てもらうためにミラノまで持って行きます。そこで「アントニアッツィ」から、「君には弦楽器製作の才能がある」と褒められたことをきっかけに、さらに弦楽器製作に夢中になっていきます。
そして1886年に「ビジャッキ」は、弦楽器製作家になる事を決意し、ミラノに移り「アントニアッツィ」と共に本格的に弦楽器製作を学ぶ事にしたのです。
まず「ビジャッキ」は、「アントニアッツィ」のスタイルで楽器を製作しますが、やがてf字孔やスクロールは独自のスタイルとなり、ニスも独自のモノを研究していきます。そしてその後も様々な研鑽を積み、主に17世紀のクレモナの銘器を模倣したコピー楽器を製作していきます。また、演奏家だった頃のコネクションを生かして多くの演奏家達に作品を見てもらい、演奏家の意見を取り入れるなどの改良も進め、さらに洗練された素晴らしい楽器を製作していきます。
そしてついに1895年には、ロンドンの国際コンクールで賞を受賞したのです。
さらに、1896年にはアトランタで、1898年にトリノで、1900年にはパリでも賞を受賞し、弦楽器製作家としての才能を見事に開花させたのです。
頑固で職人肌の「アントニアッツィ」と、柔軟で演奏や経営能力にも優れていた「ビジャッキ」は、その後は対等な関係で非常に上手いバランスで彼らの工房を経営していきます。そして、後にミラノを代表する弦楽器製作家となる多くの弟子達も迎え入れ、育てていきます。また、著名な演奏家や重要なコレクターが所有する楽器の修理や調整なども行い、さらにはオールド楽器の販売なども手掛けながら、短期間でミラノの有名な大工房となっていきます。
そして、国際的なディーラーとの強いネットワークも構築して、一気に世界的な大楽器商へとのし上がっていったのです。
しかし「ビジャッキ」は、もっとも成功を納めている最中の1904年に「アントニアッツィ」と仲違いをしてしまいます。
それでも「ビジャッキ」の快進撃は続き、「アントニアッツィ」が工房を去った後も、多くの弟子達と協力して非常に数多くの素晴らしい楽器を製作し続け、1906年にはミラノで、1910年にはブリュッセルで賞を獲得したのです。
この時期の彼の作品は、多くの弟子達との共同製作が多いのですが、楽器の仕上げと、特にニス塗りの作業に於いては、すべての作品を自身の手で行いました。これはディーラーとしても優れた才能を持っていた彼が、ニス塗りが作品の持つ第一印象と音色に大きな影響を及ぼす重要な作業だと考えていたためです。
そのため「ビジャッキ」の作品は、弟子の手癖を強く感じる作品も多く存在しますが、最終的には完成度の高い「ビジャッキ」独自の美しい仕上げとなっているのです。しかも彼の弟子の多くは、後にミラノを代表する素晴らしい製作家として評価され、現在では、その弟子自身の作品も「ビジャッキ」に勝るとも劣らない評価を受けている作品が多く存在しているのです。
つまり、「ビジャッキ」の作品を選ぶポイントは、すべてが「ビジャッキ」自身によって製作されているかどうかという事よりも、その作品のデキがどれほど良いのかを見極める事がとても重要なのです。実際に、製作当初からデキの良い作品には、弟子の手が入っている楽器であっても、ラベルに「ビジャッキ」自身による直筆のサインが記されている事がとても多いのです。
その後「ビジャッキ」は、第一次世界大戦の影響でミラノを離れた時期もありますが、1920年にはミラノに戻り、工房は益々発展して行きます。
そしてこの頃からは、弟子の「ガエタノ・スガラボット」「ジュゼッペ・ペドラッツィーニ」「ジュゼッペ・オルナッティ」「フェルディナンド・ガリンベルティ」、そして息子の「カルロ・ビジャッキ」等が、多くの国際コンクールで賞を獲得し、弦楽器製作の歴史に残るミラノの繁栄を築いていったのです。
なかでも、正統派の弦楽器製作を行った「ジュゼッペ・オルナッティ」は1961年から3年間、「フェルディナンド・ガリンベルティ」は1963年から3年間、現在クレモナにある国際ヴァイオリン製作学校の教師として、多くの生徒達に「ビジャッキ」から習ったミラノ派の弦楽器製作ノウハウを教えたのです。
そしてその教え子の中から、コンテンポラリー・クレモナ弦楽器製作最高峰の名人「G.B.モラッシー」が誕生したのです。
その意味でも「ビジャッキ」は、「アマティ」や「ストラディバリ」「ガルネリ・デル・ジェス」等が築いた17〜18世紀の“クレモナの栄光”を受け継ぐ最後の名工、「J.B.チェルティ」、その孫の「エンリコ・チェルティ」、さらにその弟子の「ガエタノ・アントニアッツィ」、そしてその息子達「リカルド&ロメオ・アントニアッツィ」と、「ビジャッキ」の弟子の「オルナッティ」「ガリンベルティ」に教えを受けた「G.B.モラッシー」との橋渡し役として、イタリア弦楽器製作の歴史上、大変重要な役割を担った人物と言えるのです。
今回ご紹介する1897年製の「レアンドロ・ビジャッキ」は、「アントニアッツィ」兄弟と共に、もっとも情熱的に弦楽器製作に励んでいた黄金期前半の作品となります。その基本形は「アントニアッツィ」のスタイルで製作されていて、細工のひとつひとつが非常に丁寧に仕上げられ、かつ強い個性と深みのある作品で、高い芸術性を感じさせます。また、迷いのない刃物使いも素晴らしく、勢いとキレのある見事な作品です。自信を持っていたニスも、楽器と同化しているかのような自然な噛みつきで、硬すぎず柔らかすぎない見事な風合いを感じさせるアンティーク仕上げとなっております。音色においても、高貴で気品のある上質なオールド・クレモネーゼを思わせるような大変素晴らしい作品となっております。
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