Francois Xavier Tourte  「フランソワ・グザビエ・トゥルテ」(1748〜1835)は、数百年以上続いていたバロック様式を改良して、古典派以降の現代様式を発明・確立した、楽弓製作の歴史上、最も重要な人物です。彼の製作した作品は、「弓のストラディバリウス」と呼ばれ、現代の弓製作者はもとより、多くの演奏家、収集家、楽器商にまで広く絶賛されています。



 1748年にフランスのパリで、弦楽器及び楽弓の製作者である父「ピエール」のもとに生まれた「トゥルテ」には、二つ年上の兄「レオナルド」がいました。その「レオナルド」は10歳の頃から、父の弓製作の仕事を引き継ぎますが、一家の生活が苦しかったため、「トゥルテ」は12歳の時に、父から当時社会的に高い評価を得られた時計製作の道を指示されます。しかし、弓製作への情熱を捨てきれなかった「トゥルテ」は、時計作りの傍らで弓のスクリューやメネジの研究、象牙や鼈甲(べっこう)等の新しい素材の研究を続けます。そして、16歳の時に父が他界すると、安定収入のあった時計作りの仕事を捨て、兄と共に本格的に弓製作の仕事を始めたのです。



 まず「トゥルテ」は、弓を製作する木材についての研究を始めます。この頃までの弓製作では、スネークウッド、アイアンウッド、アモレット、といった木材が主ですが、彼はそれまでの常識にとらわれることなく、様々な木材を海外から取り寄せて実験します。砂糖を輸入するために使っていた樽で弓を製作したこともありました(これは後に杖の材として普及した)。そして研究の結果、フェルナンブーコと呼ばれる木材がもっとも弓に適していることを発見したのです。フェルナンブーコとは、ブラジルのフェルナンブーコ州で採れるブラジルボクの豆科の木材です。かつては、ブラジルはヨーロッパ、特にポルトガルの植民地でした。そこは金やダイヤモンドの豊富な土地で、それらを運ぶために創られたガリオン船が、強風や荒波で難破するのを避けるために、船の重量を調整する必要がありました。その「重し」として使われていたのが、非常に密度の高い木材、フェルナンブーコでした。後にこの木材が染料としても使えることがわかり、ポルトガルからフランスへ渡ります。トゥルテはそこでこの「フェルナンブーコ」を見出したのです。


弓フロッグの変化
 その後、「トゥルテ」は34歳の頃に、ヴァイオリニストで作曲家の「ジョバンニ・バティスタ・ヴィオッティ」や同じくヴァイオリニストで作曲家の「ロドルフ・クレゼール」と出会います。意気投合した彼らは、共に協力して新たな弓の様式を探っていきます。
この時代は様々な曲のスタイルや演奏方法が共在していたため、演奏家の彼らも、あらゆる音楽のスタイルに合う弓の必要性を感じていたのです。
そこで「トゥルテ」はまず、弓の端から端まで安定して演奏できるように、フロッグとヘッドを同じ高さにしました。そして、ヴィオッティの高度な曲を演奏するために適した弓の反りを確立します。次に、ヴィオッティやクレゼールの最も不満とする弓毛の不安定さを改良するために、フェルールと呼ばれる金属製のリングを発明します。これにより、弓毛を薄く均一に張れるようになったのです。そして、重量バランスを整えるために、フロッグに金属製のプレートをはめ込むなどして、オープンフロッグからカバードフロッグへと改良し、さらにはラッピングと呼ばれる巻きをスティックに施すことで、弾きやすい弓の重量バランスを確立したのです。



 なお、ほとんどの「トゥルテ」が製作した弓のフロッグの四角板には、3つのピンが埋め込まれていますが、これはフランス革命の時代に、トゥルテが密かに支援していた秘密組織フリーメイソンの象徴“自由・平等・博愛”を表現したものです。



 これにとどまらず「トゥルテ」の研究は続き、彼が50歳の頃にはヴァイオリン弓のスティックの長さを73cm、ヴィオラ弓は72.5cm、チェロ弓は70cmとし、総重量もヴァイオリン弓が60g、ヴィオラ弓は70g、チェロ弓は80gがベストであると決定づけます。
以降、現在に至るまで、すべての弓製作の基本形式は、これらの「トゥルテ」が確立した様式や寸法が基準となっています。
そして70歳になっても技術の衰えを見せることのなかった「トゥルテ」は、87歳でその生涯を終えるまで弓製作とその研究を続けたのです。







 今回ご紹介する「トゥルテ」の作品“exサルトリー”は、20世紀を代表する弓製作家の「ユージン・サルトリー」が自身の研究のために所有していた弓で、言葉に表すことのできないほどエレガントな美しさを持つ上質なラウンド型のヘッドで製作されていて、正にヴィオッティと共に研究・開発した頃の作品です。そのため、このスタイルの弓は後に「ヴィオッティ・スタイル」と言われるようになります。日本ではこれまで、このスタイルの作品を、スワン型と呼んでおりましたが、正確にはスワン型の弓は、白鳥の首の様に完全な丸みを帯びていて、シャンファー(面取り)がありません。国際的に活躍している専門家達の呼び方と統一して、以降このスタイルの弓を、筆者は「ヴィオッティ・モデル」として解説していきます。

 「サルトリー」をはじめ、その師匠である「アルフレッド・ラミー」や、さらにその師匠の「フランソワ・ボワラン」等は、この「トゥルテ」の初期の作品「ヴィオッティ・スタイル」を参考に弓を製作しました。また、「フランソワ・リュポ」をはじめ、「ジャン・ピエール・ペルソア」や「ドミニク・ペカット」等、主にヴィヨーム工房の弓職人達は「トゥルテ」の中期の作品や、後期の力強い作品であるスクエア型を参考に弓製作を行っていることからも、「トゥルテ」が後の殆どの弓製作者達に多大な影響を与えた偉大なる弓製作家であることがわかります。

 まさに、今もって誰も越えることのできない、楽弓史上の頂点に君臨しているのが、「フランソワ・グザビエ・トゥルテ」なのです。











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参考文献
「Universal Dictionary of violin & bow makers」  著 William Henle
「Liuteria Itariana」  著 Eric Blot
「L’Archet」  著 Bernard Millant, Jean Francois Raffin