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1850 | | ミルクールにて生まれる。 父親の Jean Joseph は時々バイオリン作りをしていた。
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1862 | 12歳 | Claude Charles Nicolas HUSSON に弓製作を学ぶ。 丁度同じ時期に工房にいた Charles Claude HUSSON や Joseph Arthur VIGNERON と共に修行時代を過ごした。 彼は初期の頃 Peccatte スクールよりも当時一般的なスタイルであった Vuillaume-Voirin スタイルに影響を受けた。
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1868 | 18歳 | フランス郊外の Chateau-Thierry へ行き、弓製作者 Pierre Louis GAUTROT の工房で働き始める。 そこで、下請けとして働いていた Joseph VOIRIN と出会い、その後も家族ぐるみの付き合いが続いた。 この頃は HUSSON スタイルで弓を製作していた。
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1870 | 20歳 | 長男 Alfred が誕生した事をきっかけに、Elysa Emilie Josephe Cuvillier と結婚。 長男は後に彫刻家となった。
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1971 | 21歳 | 次男 Victor Jules が生まれる。後に彫刻家となった。
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1873 | 23歳 | 長女 Emilie Victoire Josephe が生まれる。
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1875 | 25歳 | 三男 Hippolyte Camille が生まれる。後に弓製作者となった。
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1876 | 26歳 | 家族と共にパリへ発つ。Francois Nicolas VOIRIN 工房のアシスタントとして働き始めた。 J.A.LAMY は師匠に匹敵する実力を付けていった。助手となって始めの頃の弓は見分けが付かない程よく似ている。 ヘッド:薄く、シャンファー部分がとても繊細。フロッグ:短くて、のど部分が丸みを帯びている。
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1881 | 31歳 | 四男 Georges Leon が生まれた。後に弓製作者となった。
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1885 | 35歳 | 師匠の F.N.VOIRIN が他界。 Poissonniere 通りに自分の工房を構えた。
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1889 | 39歳 | この頃 Eugene Nicolas SARTORY が工房に出入りし、彼の初期の作品に大きな影響を及ぼしている。パリのコンクールで銀賞を受賞。 この頃黄金期を迎え、以前よりもややボリュームのあるバランスの取れた美しい弓を製作した。 巨匠 Tourte の弓をコピーした作品もあるが、常に自分のオリジナリティを表現して、よりモダンな感じに仕上げている。
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1900 | 50歳 | パリのコンクールで金賞を受賞。
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1905 | 55歳 | パリのディーラー Paul DESCHAMP の為に弓を製作した。 この頃から息子の Georges Leon や Hyppolyte Camille が一緒に働き始めた。 最終的なスタイルの変化が見られる。どちらかというと、女性的なイメージを受ける。
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1915 | 65歳 | 四男の G.L.Lamy が戦死した為に、三男の H.C.Lamy だけが父親の工房に残った。
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1919 | 69歳 | 他界。正確な日にちは分かっていない。
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