LAMY, Joseph Alfred1850 - 1919
ジョゼフ・アルフレッド・ラミー



ジョゼフ・アルフレッド・ラミーはラミー一族の中で最も名声のある、また、とても品質の良い膨大な数の弓を残した人物です。今までにご紹介したアルフレッドは彼の甥に当たり、ジョルジュ・レオンとヒッポリー・カミーユは彼の息子です。
徐々に弓製作の世界で実力を付けてきた後期には、ユージン・サルトリーといった20世紀を代表する製作者にも影響を与えた人物です。


【 Joseph Alfred LAMY の生涯 】
1850ミルクールにて生まれる。
父親の Jean Joseph は時々バイオリン作りをしていた。
186212歳Claude Charles Nicolas HUSSON に弓製作を学ぶ。
丁度同じ時期に工房にいた Charles Claude HUSSONJoseph Arthur VIGNERON と共に修行時代を過ごした。
彼は初期の頃 Peccatte スクールよりも当時一般的なスタイルであった Vuillaume-Voirin スタイルに影響を受けた。
186818歳フランス郊外の Chateau-Thierry へ行き、弓製作者 Pierre Louis GAUTROT の工房で働き始める。
そこで、下請けとして働いていた Joseph VOIRIN と出会い、その後も家族ぐるみの付き合いが続いた。
この頃は HUSSON スタイルで弓を製作していた。
187020歳長男 Alfred が誕生した事をきっかけに、Elysa Emilie Josephe Cuvillier と結婚。
長男は後に彫刻家となった。
197121歳次男 Victor Jules が生まれる。後に彫刻家となった。
187323歳長女 Emilie Victoire Josephe が生まれる。
187525歳三男 Hippolyte Camille が生まれる。後に弓製作者となった。
187626歳家族と共にパリへ発つ。Francois Nicolas VOIRIN 工房のアシスタントとして働き始めた。
J.A.LAMY は師匠に匹敵する実力を付けていった。助手となって始めの頃の弓は見分けが付かない程よく似ている。
ヘッド:薄く、シャンファー部分がとても繊細。フロッグ:短くて、のど部分が丸みを帯びている。
188131歳四男 Georges Leon が生まれた。後に弓製作者となった。
188535歳師匠の F.N.VOIRIN が他界。
Poissonniere 通りに自分の工房を構えた。
188939歳この頃 Eugene Nicolas SARTORY が工房に出入りし、彼の初期の作品に大きな影響を及ぼしている。パリのコンクールで銀賞を受賞。
この頃黄金期を迎え、以前よりもややボリュームのあるバランスの取れた美しい弓を製作した。
巨匠 Tourte の弓をコピーした作品もあるが、常に自分のオリジナリティを表現して、よりモダンな感じに仕上げている。
190050歳パリのコンクールで金賞を受賞。
190555歳パリのディーラー Paul DESCHAMP の為に弓を製作した。
この頃から息子の Georges Leon や Hyppolyte Camille が一緒に働き始めた。
最終的なスタイルの変化が見られる。どちらかというと、女性的なイメージを受ける。
191565歳四男の G.L.Lamy が戦死した為に、三男の H.C.Lamy だけが父親の工房に残った。
191969歳他界。正確な日にちは分かっていない。


三男のヒッポリー・カミーユは父親の死後も工房に残り、自分の製作した弓には父親と同じスタンプ“A.LAMY a Paris”を使用しました。ジョゼフ・アルフレッド・ラミーは19世紀から20世紀にかけて活躍した偉大な製作者の一人で、弓製作史上 VOIRIN と SARTORY を繋ぐとても重要な役割を果たした人物でもあります。また、彼はバイオリンメーカーの為には一切弓を製作せず、独立した自分の地位を築いていきました。