| | |
1871 | | フランスのミルクールで生まれる。 弓メーカーであった父親に手ほどきを受ける。父親に師事するのは弓製作の世界では伝統的な事で、18世紀から行われていた。
|
| | |
| | Charles PECCATTE を始めとする偉大な製作家の工房を転々とする。すばらしい師 Joseph Alfred LAMY の工房に入る。 自分の弓はまだ作れないが、すでに、この頃から才能が認められていた?!
|
| | |
1887 | 16歳 | 若干16歳にて、ブリュッセルのコンクールで金メダル獲得。 自分のスタイルの弓を作ることを初めて許された。
|
| | |
1889 | 18歳 | なんと18歳にして独立。パリの10区に店を構える。 この頃、パリの経済状況がわるく、シルバーなどの高級金属が手に入らず、ニッケルを使用。
|
| | |
1894 | 24歳 | リヨンのコンクールで金メダル獲得。
|
| | |
1899 | 28歳 | 4月1日 Marie Josephine Jacquet と結婚。 彼女の父親はバイオリンメーカーだった。子供は娘が2人生まれた。 この頃、フロッグはエレガントで大きく開いたUの字のところが E.SARTORY の特徴。
|
| | |
1900 | 29歳 | パリの国際コンクールで世界一の栄光に輝く。 ヘッドの形が時々 Andre VIGNERON に似ていた(しかし、二人が共に働いたという資料はない)。
|
| | |
1902 | 31歳 | パリ9区に引越し。近くにバイオリンメーカー BRUGERE が店を構えていた。
|
| | |
1905 | 34歳 | リエージェのコンクールで栄誉賞受賞。 この頃、使用する木材は茶系で赤みがかったものが多い。
|
| | |
1906 | 35歳 | ミラノのコンクールで栄誉賞受賞。
|
| | |
1908 | 37歳 | ロンドンのコンクールで栄誉賞受賞。
|
| | |
1911 | 40歳 | シテ島にあるアパートの4階に引っ越した。その頃弓制作者達の間では、音楽学校の近くに店を構えることが一般的であったが、E.SARTORY はそれを嫌い、人里離れた場所に店を構えた。
|
| | |
| | 彼の作品のなかでも特別な思いを込めた4本の弓を製作。金とべっ甲仕様の弓で1本は妻に、2本は2人の娘にそして残りの1本は自分で持っていた。
|
| | |
1914 | 43歳 | パリだけではなく、地元ミルクールやナンシーなどにも工房を構える。
|
| | |
1920 | 49歳 | 渡米。フランスだけではなく、ヨーロッパ、アメリカなど広い範囲で活躍していた。 あまりにも有名なため、彼の弓の模造品が流出。アメリカの空港で E.SARTORY 自身がそれを発見し、激怒。E.SARTORY は殆ど自分のスタイルで弓を製作したが、この時期 TOURTE や LUPOT といった有名製作家をフルコピーした弓も存在する。
|
| | |
1933 | 62歳 | 妻の Marie Josephine Jacquet が他界。
|
| | |
1935 | 64歳 | 2月 Emile Josephine Augustine と再婚。
|
| | |
1939 | 68歳 | ニューヨークの展示会に金とべっ甲仕様の弓を送る。 この頃、だんだんとスティックは太くなり、明るい色の木材を好み、八角の弓が増えた。
|
| | |
1946 | 75歳 | 3月5日 パリのシテ島にある工房で他界。 故郷ミルクールに埋葬された。
|
| | |