LAMY, Hippolyte Camille  通称 ‘長男’1875 - 1942
ヒッポリー・カミーユ・ラミー



ジョルジュ・レオン・ラミーの項でも紹介しましたが、弓製作家の父ジョゼフ・アルフレッド・ラミーの子供として生まれたヒッポリー・カミーユ・ラミーは5人兄弟の4番目の息子ですが、弓製作家として、ラミー一族の跡を継いだのは彼と弟のジョルジュ・レオンだけだったので、弓製作の世界では彼が通称‘長男’とされています。彼の弓のスタイルはやはり、父親のものに近いのですが、弟のジョルジュ・レオンよりもやや判別しやすい特徴が見られます。


【 Hippolyte Camille LAMY の生涯 】
1875フランス郊外の Aisne で生まれた。
189015歳父親の工房で弓製作の修行をしながら、仕事を覚えていった。
彼の初期の頃の弓は父親と同じスタイルで製作され、見分けるのが難しい。
189520歳この頃にはすでに父親のアシスタントとして働きはじめていた。
190530歳この頃からすこしずつ、自分のスタイルを取り入れ始めた。
フロッグののど部分は少しずつ広くなり、ヘッドの形も徐々に大きくなっていった。
191035歳この時期戦争の為、軍隊に召集された。
戦争から戻り一時中断していた仕事を再開し、また父親と共に働いていた。
191944歳父親が他界した為に、彼が工房を継ぐことになった。
フロッグの貝目部分にサークルの装飾が施してある事が多い。
183055歳年をとるにつれて、視力が低下し、作品に影響が出てきた。
少しずつ作品が重たいイメージになり、その仕上げも雑になってきた。
194267歳工房のあるパリ郊外の Courbevoire で他界。


ヒッポリー・カミーユ・ラミーは沢山の作品を残し、それらの評価については父親のジョゼフ・アルフレッドのものと区別されるものの、父親の評価に準ずるものとされています。彼の弓のフロッグは父親のものよりも0.5mmから1.0mm程度長めなのが一般的な特徴です。