LAMY, Georges Leon  通称 ‘次男’1881 - 1915
ジョルジュ・レオン・ラミー



ジョルジュ・レオン・ラミーは弓職人ジョゼフ・アルフレッド・ラミーの一番下の息子です。ジョゼフ・アルフレッド・ラミーには5人の子供がいましたが、その中で弓製作家になったのは、三男のヒッポリー・カミーユ・ラミーと、末っ子のジョルジュ・レオン・ラミーだけでした。そのため、業界では、ラミー家の弓製作家として“次男”と呼ばれています。


【 Georges Leon LAMY の生涯 】
18818月27日パリにて生まれる。
兄の Hippolyte Camille と一緒に父親 Joseph Alfred LAMY の下で弓製作の修行をはじめ、その後父の助手として働き始めた。彼は生涯自分の店を持たず、父親の工房で働き続けた。
彼の初期の頃の弓は父親のものと非常によく似ていて、殆ど見分けが付かない。
彼の製作した弓には父親の焼印“A.LAMY A PARIS”が押されている。
191433歳軍隊に召集され、第一線に立った。
191534歳9月28日 戦死。


ジョルジュ・レオン・ラミーは生涯結婚せずに、家族と共に暮らしていました。
戦争による彼の若すぎる死によって、彼の作品がとても少なく、その殆どが父親のものと認識されてしまっているのは、とても残念な事です。