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1851 | | 7月30日 ミルクールで生まれる。 父 Pierre Dominique はパン職人であった。
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| | 彼は幼い頃に父親をなくし、母の再婚相手 Claude Nicolas HUSSON の下で弓製作を学んだ。 彼の最初の頃のスタイルは HUSSON の弓と非常に良く似ていて、見分けが付かない。
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1871 | 20歳 | Jeanne Marguerite Hector と結婚した。
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1872 | 21歳 | 義理の父 C.N.HUSSON が亡くなり、Jean Joseph MARTIN と一緒に仕事をした。 この時期の彼の弓は BAZIN スクールの影響を受けている。
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1874 | 24歳 | 妻が亡くなった。二人の間には子供がいなかった。
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1875 | 25歳 | 翌年3月1日 Marie-Therese Lhillier と再婚した。
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1880 | 29歳 | MARTIN の工房を出て、GAND & BERNARDEL の工房で働く為にパリへ出た。 パリに出た事で彼の弓は Vuillaume や Voirin のスタイルに影響を受けた。シャンファーが大きく、のど部分で広がっている。 シャンファーは徐々に大きくなり、フロッグはがっしりとして、フェルールが短くて幅が広い。 スティックの形が三角(丸でも八角でもない)の弓を作り、“Modele Lucien CAPET”というブランドで売り出した。
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1881 | 30歳 | 9月19日 息子 Andre VIGNERON が生まれた。
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1888 | 37歳 | GAND & BERNARDEL の工房を出て、パリ2区 Clery に引っ越した。
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1900 | 49歳 | 息子の Andre が助手として働き始めた。 この頃彼はパリのコンセルバトワールの教授 Lucien Capet と共に新しい弓の機能などの研究に力を入れていた。
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1905 | 54歳 | 6月13日に他界し、息子が工房の跡を継いだ。
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