VIGNERON, Joseph Arthur  通称 ‘VIGNERON pere’1851 - 1905
ジョゼフ・アルテュール・ヴィネロン



ジョゼフ・アルテュール・ヴィネロンは、19世紀後半に、様々な職人と仕事を共にし、技術を磨き自分のスタイルを確立しました。当時から評判の良かった彼の作品は現在も多くの愛好者達によって、評価され続けています。


【 Joseph Arthur VIGNERON の生涯 】
18517月30日 ミルクールで生まれる。
父 Pierre Dominique はパン職人であった。
彼は幼い頃に父親をなくし、母の再婚相手 Claude Nicolas HUSSON の下で弓製作を学んだ。
彼の最初の頃のスタイルは HUSSON の弓と非常に良く似ていて、見分けが付かない。
187120歳Jeanne Marguerite Hector と結婚した。
187221歳義理の父 C.N.HUSSON が亡くなり、Jean Joseph MARTIN と一緒に仕事をした。
この時期の彼の弓は BAZIN スクールの影響を受けている。
187424歳妻が亡くなった。二人の間には子供がいなかった。
187525歳翌年3月1日 Marie-Therese Lhillier と再婚した。
188029歳MARTIN の工房を出て、GAND & BERNARDEL の工房で働く為にパリへ出た。
パリに出た事で彼の弓は Vuillaume や Voirin のスタイルに影響を受けた。シャンファーが大きく、のど部分で広がっている。
シャンファーは徐々に大きくなり、フロッグはがっしりとして、フェルールが短くて幅が広い。
スティックの形が三角(丸でも八角でもない)の弓を作り、“Modele Lucien CAPET”というブランドで売り出した。
188130歳9月19日 息子 Andre VIGNERON が生まれた。
188837歳GAND & BERNARDEL の工房を出て、パリ2区 Clery に引っ越した。
190049歳息子の Andre が助手として働き始めた。
この頃彼はパリのコンセルバトワールの教授 Lucien Capet と共に新しい弓の機能などの研究に力を入れていた。
190554歳6月13日に他界し、息子が工房の跡を継いだ。


ジョゼフ・アルテュール・ヴィネロンは、弓に対して美的なものよりも、機能性や実用性を重視して製作していたようです。彼の作品には金やべっ甲を使用した弓は一切ありません。後期の作品は、貝目などの装飾がなく、三角型のスティックは力強い印象を受けます。