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HUSSON, Claude Charles Nicolas1823 - 1872 クロード・シャルル・ニコラ・ウッソン
クロード・シャルル・ニコラ・ウッソンは、ミルクールやパリの若い職人を沢山雇い、その職人達を育てると同時に弓製作の発展に大きく貢献しました。同時期に BAZIN 一族が弓製作の発展に大変力を入れていたので、両家はお互いに協力し合うとともに、後世に、若くて実力のある職人の育成に努めました。
【 Claude Charles Nicolas HUSSON の生涯 】
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1823 | | 11月23日 ミルクールにて生まれる。父親はレース編み職人であった。彼には弟がいて、名前は Pierre と言い、バイオリンと弓の製作者となる。 彼は幼い頃、ミルクールでぺカット流のすぐれた弓職人について学んだ。
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1844 | 21歳 | Marie Bonnard と結婚。
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1846 | 23歳 | 息子の Charles Claude が生まれた。
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1857 | 34歳 | 妻の Marie Bonnard が亡くなる。 その後 Jeanne Louis Collin という女性と再婚。再婚相手の女性には Joseph Arthur VIGNERON という子供がおり、C.C.N HUSSON が認知して、彼の工房で弓製作を教えた。 この頃製作された弓は、Simon や Maire のスタイルによく似ている。ヘッド部分はとても力強く、フロッグもやや硬くて頑丈な印象がある。 この頃から、彼のスタンプが押された弓がなくなってくる。その理由としては、考えられる事は、C.C.N Husson が他の工房のために弓を製作していたという説である。実際に、C.C.N Husson は Francois BAZIN と仲が良く、フランスの弓製作の発展に協力して、大きな役割を果たしたのであった。彼の息子の Charles Claude が父親の工房を出て、パリへ旅立ってから、HUSSON 一族は徐々に衰退していき、逆に BAZIN 一族は Vosgian に学校を設立し、発展していった。 この時期、フランスの弓のスタイルが徐々に変化していく。硬くて力強い Peccatte スタイルから丸みを帯びた Voirin や Vuillaume に近い形が主流となっていく
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1872 | 49歳 | 10月21日 他界。
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クロード・シャルル・ニコラ・ウッソンは自身の作品はあまり広く知られていませんが、沢山の職人を育て、フランスの弓製作の発展に努めました。彼の死後、義理の息子のジョゼフ・アルテュール・ヴィネロンは、工房を離れ、ジャン・ジョセフ・マルタンと一緒に働くようになりました。
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