GILLET, Louis Henri1891 - 1970
ルイ・アンリ・ジレ



ルイ・アンリ・ジレはフランスのナンシーで生まれ、パリやミルクールの製作者達と仕事の取引はしていましたが、自分自身はその生涯の殆どをフランスの郊外で過ごしました。また、彼は20世紀の弓作りの巨匠ユージン・サルトリーのアシスタントも務めていた時期があり、作風にその影響が現れています。


【 Louis Henri GILLET の生涯 】
18912月10日、フランスのナンシーで生まれる。
父親の Francois Edouard はバイオリンメーカーであったが、Louis が9才の時、不慮の事故で亡くなった。
190615歳ミルクールの THIBOUVILLE 工房の職人リストに Louis GILLET の名前が載っている事から、この工房で働いていた事がわかる。
彼はこの工房に1911年まで勤務していた。
191120歳第一次世界大戦が始まり、軍隊に召集され、青年隊に所属した。戦争が終わり、負傷して病院に収容された GILLEはそこで、看護婦をしていた Jeanne Antoinette Aymard と出会い、1926年に結婚した。
この頃彼の製作した弓はミルクールの作風に影響を受けている。
192130歳ミルクールにある LABERTE の工房で働いていた。
192433歳ミルクールを離れ、故郷のナンシーに戻り、自分の店を開いた。
192635歳結婚を機にフランスの田舎町に引越し、ぶどう畑の広がる St-Jean で弓製作を続けた。
パリやミルクールの職人達と取引を始めた。この時期の彼の作品の中には、“LAVEST”というブランドで販売されているものもある。
193443歳Eugene Nicolas SARTORY からアシスタントを依頼される。E.Sartory のアシスタントを務めていた Jules FETIQUE が自分の弓の製作で忙しくなり、あまり手伝えなくなったので、新しいアシスタントを探していた。
この頃から、弓のスタイルが Sartory のものに近づいていった。弓には2ケ所スタンプが押されているものもあり、ヘッドはやや丸みを帯びていた。
194655歳Sartory が他界しその後 Sartory の義理の子供 Georges DUPUY の為に弓を製作していたが、馬が合わずに徐々に離れていった。
少しずつスタイルに変化が見られ Peccatte スタイルを主流にしている。
197079歳Saint Remy で他界。


ルイ・アンリ・ジレが後期に製作した弓は、フロッグに象牙やべっ甲を使用し、金を装飾したものがあり、とてもエレガントです。
ジレの死後、彼の妻は工房に残っていた道具などをミルクールにある弓製作学校に寄付しました。この学校は1971年からベルナルド・ウーシャ(E.A.ウーシャの息子)が講師を務めていて、大変繁盛していましたが、1979年にベルナルド・ウーシャが亡くなった後は徐々に衰退していきました。