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1881 | | 9月19日 ミルクールで生まれる。
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| | 弓製作者の父 Joseph Arthur VIGNERON の下で弓製作を学んだ。 その後も彼は父親の助手を務め、自分のオリジナルのヘッドのスタイルを生み出した。 ヘッドは父親のスタイルよりも薄い。フロッグはがっしりとしていて、父親と同じ型。
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1903 | 22歳 | 4月11日 Eugenie Alice Rocjer と結婚した。 二人の間には女の子が一人生まれた。
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1905 | 24歳 | 父が他界し、Maisons Alfort の工房を引き継いだ。その後も、自分のスタイルと父親のスタイル両方を用いて弓を製作した。 シャンファーの幅が広いがヘッドは全体的に薄い。フロッグは後期にかけて華奢になり、アジャスターは短くて厚みが薄い。
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1910 | 29歳 | それまでは父の焼印‘VIGNERON-PARIS’を押していたが、この時期から自分のオリジナルの焼印‘Andre VIGNERON’を使用し始めた。
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1914 | 33歳 | 第一次世界大戦が始まり、店を一時中断した。
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1920 | 39歳 | 仕事を再開した後、Auguste HUSSON を雇い Louis PIERNOT を助手として雇った。 父親が初期の頃使用していた‘VIGNERON-PARIS’という焼印をこの頃の弓に押している。
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1924 | 43歳 | 病の為、他界した。
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