MORIZOT, Louis Joseph  通称 ‘Morizot pere’1874 - 1957
ルイ・ジョゼフ・モリゾー



ルイ・ジョゼフ・モリゾーは20世紀に最も多くの弓を生産した弓製作者の一人として、現在広く知られています。彼は次回紹介する予定の‘Morizot freres’(兄弟)の‘pere’(父親)にあたります。
ルイ・モリゾーは、クニオ・ユーリ、ニコラ・バザンそして弓製作の巨匠ユージン・サルトリーに付いて、弓製作を学びました。しかし、独立後には、歳も近かった二人はお互いを意識した製作者として対立した関係になり、一切共同して弓を製作するような事はありませんでした。


【 Louis Joseph MORIZOT の生涯 】
1874フランスの Darney で生まれる。
父親の Nicolas Constant は金属加工工場で働いていた。母の Catherine Maline は弓製作者 Nicolas MALINE の妹であった。彼は CUNIOT-HURY の下で弓製作を学んだ。
189824歳Marie Louis Burdon と結婚し、後に6人の子供を設けた。
190127歳しばらくして、多くのフランスの弓製作者と同じ様に、Charles Nicolas BAZIN 工房に弟子入りし、沢山の同僚と共に弓製作の技術をみがいた。
彼の初期の頃の弓は、この工房の影響を非常に強く受けている事が分かる。
191440歳BAZIN工房を出て、Eugene SARTORY のアシスタントとして働き始めた。
やや BAZIN スタイルが残っていた。
第一次世界大戦で仕事を一時中断。
191844歳Sartory が軍隊から戻り、仕事を再開した事からアシスタントとして再度仕事についた。彼は主にフロッグやスティックの荒削りを担当していた。
191945歳独立して、ミルクールの St. Georges 通りに自分の店を構えた。
この時期の彼の弓はとてもエレガントで Sartory の物によく似ている。
192046歳息子達が工房で共に働くようになった。
192551歳息子達の協力もあり、Louis Morizot は大量の弓を生産し、その名を広めていった。
彼はミルクールの殆どのバイオリン工房の為に弓を製作していた。
192753歳職人の技を競う大会‘Artisanale’で優勝した。
193359歳息子達と共に工房を構え、“Louis MORIZOT & fils”と名前を改めた。
かつての師であった C.N.Bazin の様にフランス国内、また海外のバイオリンメーカーの為に弓を製作し販売していた。
194773歳歳とともに視力が低下し、弓製作をリタイヤしたが、出来る限りの息子達のサポートは続けていた。
195783歳8月15日にミルクールで他界した。


ユージン・サルトリーが当時から卓越した製作者でフランス国内外でも有名であったことは既に説明しましたが、ルイ・モリゾーが、そのサルトリーの工房で共同して弓を製作していたという経験を自分の商売の宣伝に使用していた事が発覚し、サルトリーに反意をかったようです。
ルイ・モリゾーの製作した弓は出来栄えも材料の選択も優れていて、現在多くの演奏家に支持されています。時折彼の弓のスティックに汚れや傷のようなものが見られる材料を用いているものもありますが、それらは弓のバランスや演奏面にはあまり問題はないでしょう。