| | |
1875 | | 1月6日ミルクールにて、バイオリンメーカーの父 Charles Claude と母 Josephine Barbe の間に次男として生まれる。彼は Emile MIQUEL の下で弓製作を習い始め、その後 Charles Nicolas BAZIN の工房で修行を積み、その才能が開花した。 兄に Victor Francois FETIQUE がいた。同時期に兄の V.F.FETIQUE も C.N.BAZIN の工房で修行をしていましたが、あまり仲が良くなかった為に一緒に仕事をする機会は少なかったようだ。
|
| | |
1897 | 22歳 | 8月16日 ミルクールにて Marie Terrier と結婚。
|
| | |
1902 | 27歳 | C.N.BAZIN の工房を離れ、パリのEugene SARTORYの下で働き始める。
|
| | |
1917 | 42歳 | Eugene Nicolas SARTORY の下で働きながら、CARESSA & FRANCAIS の工房にも出入りするようになりさらに技術の向上に励んだ。 この頃から SARTORY のスタイルに影響を受け、ヘッドにもフロッグにも変化が見られる。
|
| | |
1921 | 46歳 | 11月3日 パリで Eugenie Bertin と再婚した。
|
| | |
1927 | 52歳 | 彼の作品の質の高さや、技術の腕前が評価され、フランスの優れた職人として政府から表彰された。 職人にとって最も名誉な賞である。
|
| | |
1934 | 59歳 | フランスの経済危機のせいで、CARESSA の工房を解雇された。これを機に、彼はパリの8区 Moscou 通りに自分の店を構えた。その為、多忙になり、SARTORYの手伝いをする事ができなくなっていった。 この時期から徐々に彼の製作する弓は PECCATTE スクールスタイルに影響を受け、ハンマーヘッドの形を取り入れ力強い硬い弓となっていった。 約50年間続けてきた弓製作に終わりを告げ、隠居して郊外の Gagny-les Abbesses という地で老後を過ごした。
|
| | |
1951 | 76歳 | 10月22日、他界した。
|