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1850 | | 10月14日 ミルクールで生まれる。
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1851 | 1歳 | ミルクールの家を売却し、家族でパリへ移り住んだ。
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1855 | 5歳 | 父親の Francois PECCATTE が他界。一家は生活に大変苦しんだが、ミルクールの家を売却した際の賃金で何とか飢えをしのいだ。
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1862 | 12歳 | Auguste LENOBLE という男性が、正式ではないが義理の父親になった。彼もまた弓製作者で、C.F.PECCATTE は彼の下で弓製作を習い始めた。 LENOBLE はあまり腕の良い製作者とはいえなかったが、C.F.PECCATTE は生まれ持った才能とセンスで徐々に実力を付けていった。
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1865 | 15歳 | J.B.VUILLAUME の工房へ弟子入りした。この工房では父や叔父の Dominique PECCATTE が働いていた時期があったので、すぐに工房へ出入りする事ができた。彼はこの工房で F.N.VOIRIN から直接指導を受け、どんどん成長していった。 Vuillaume スタンプの押された弓は非常によく特徴を捉えており、とても良く似ていた。
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1870 | 20歳 | Vuillaume の工房を離れ、兵役義務を果たすため軍隊へ入った。
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1872 | 22歳 | 7月16日 Marie Moulliere と結婚した。 この頃から Vuillaume スタイルで製作された弓には“PECCATTE A PARIS”の焼印を押した。
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1873 | 23歳 | この頃彼は生活の為に政府関系の仕事をしており、その時間の合間に弓を製作していた。
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1874 | 24歳 | 義父の LENOBLE と共に仕事をしていた。おそらく、名声の低い LENOUBLE にとって“PECCATTE”というネームバリューはかなり強い効果があったと考えられる。
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1880 | 30歳 | C.F.PECCATTE は家族と共にパリ8区のオペラ座近くに引っ越した。 この頃から彼の評判が徐々にあがりはじめた。
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1881 | 31歳 | 母親が亡くなったのをきっかけに義父の LENOUBLE と一切関係を持たなくなった。
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1885 | 35歳 | ベルギーの Antwerp コンペティションで銀賞を受賞した。 この頃製作された弓にはシンプルに“PECCATTE”という焼印がおされている。べっ甲、象牙、金などを用いた弓の特徴は、やはり Vuillaume の影響を受けているが、それよりもやや力強く、叔父の D.PECCATTE や父親の F.PECCATTE のスタイルを思わせるようなものであった。
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1889 | 39歳 | パリのコンクールで銀賞を受賞。 パリのコンセルバトワール(音楽学校)に自分の仕事を評価してもらい、仕事をもらえるように依頼した。
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1900 | 50歳 | 注文が次第に増えてきたので、何人か腕の良いアシスタントを雇い、スティックの荒削りを任せていた。一時期 Eugene SARTORY が工房に出入りしていた。 彼が一人で製作した弓に比べると、他の職人の手が入った物は、やや品質が劣る。後期には、初期に使用していた焼印“PECCATTE A PARIS”と同じ物を押した。
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1918 | 68歳 | 10月22日に他界した 彼は死の間際まで弓を製作し続けた。
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