| | |
1847 | | 4月24日、ミルクールにて、弓製作者 Francois Xavier BAZINとAnne Maucotel の間に生まれる。
|
| | |
1859 | 12歳 | 父親から弓製作と商売の基本を習い始める。父親の工房で助手として働く。 多くの弓製作者の子供達は学校には通えずに幼い内から修行をするのが一般的であったが、C.N.BAZIN は恵まれた事に12才まで学校に通う事ができた。 フランスの弓製作のスタイルがハンマー型のヘッドをしたぺカットスタイルから、どちらかというと丸みを帯びたボアランスタイルに変化してきた。 焼印には父親の F.BAZIN と BAZIN fils を使用。 |
| | |
1865 | 18歳 | 父親が病死し、若干18歳で工房を引き継ぐ事になる。彼は生活や仕事の経験が浅かった為、父の友人であった Claude Charles Nicolas HUSSON に助言を求め、助けてもらっていたようだ。
|
| | |
1867 | 20歳 | いとこのJeanne Emileと結婚。彼らには3人の子供がいた。 次男の Gustave はバイオリン製作者に、長男 のEmile Joseph と三男の Charles Louis は弓製作者になった。
|
| | |
1870 | 23歳 | この頃、バイオリンメーカーの J.HEL と提携し、弓を大量に製作して、販売した。 弓のスティックは八角のものが多く、フロッグの貝目のところに Jean Baptiste VUILLAUME
の真似をして写真を細工したものもある。
|
| | |
1875 | 28歳 | 以前から勃発していたフランスの戦争で徴兵される弓製作者達を守るために、政府に弓製作は重要な文化的、芸術的職業であると訴え続け、彼の努力は実り、1875年から1889年の間この法案が適用された。彼の活動は人々の心に感動を与えその後彼はミルクールの町議員に選出された。 この頃、画家や彫刻家、作曲家などの芸術家は国の法律によって、5年間の徴兵義務を3年に短縮する事が許されていた。
|
| | |
1880 | 33歳 | 焼印は C.BAZIN と打つようになり、ヘッドの厚みが薄くなり、形は鈴型になってきた。
|
| | |
1893 | 46歳 | 工房はとても繁盛していて、後にパリに出て成功した職人のほとんどが彼の工房で働いていた。(下記詳細) C.N.BAZIN は、弟子たちが最高の仕事が出来るように自由な環境を作る一方で、商品のスタイルや品質を一定に保ち、大量に弓を生産した。
|
| | |
1901 | 54歳 | この頃から1906年位にかけて工房では12〜17人位の職人を雇っていて、年間約2,000〜3,000本位の弓を生産していた同時期、バイオリン学校設立の為の運動をしたが、まだ時期が早いようであった。
|
| | |
1907 | 60歳 | 工房を息子の Charles Louis BAZIN に引継ぐ。その後も工房に出入りし、息子にアドバイスをしながら、弓の研究を続けた。
|
| | |
1915 | 68歳 | ミルクールで他界。
|