TOURTE, Francois Xavier1748 - 1835
フランソワ・トゥールテ



バイオリンの弓は、音楽や奏法の変化によって、バロック時代までの構造と古典派以降の形状とでは根本的に違います。この古典派時代以降の、現代式の構造、形態を完成させた人物が「フランソワ・トゥールテ」と言われています。彼の製作した弓は、「弓のストラディバリウス」と呼ばれ、現代の弓製作者はもとより演奏家達にまで広く絶賛されています。
そして、名弓製作者として後世に名を残した人達でさえも「フランソワ・トゥールテ」の前期、中期、後期のモデルを基本とした造りから脱却できない、完成度の高い弓として、弓製作史上最も重要な存在なのです。

彼は、18世紀初頭に誕生したが、フランス革命の混乱で戸籍は残っておらず、正確な出生日、住所等は不明です。しかしながら、弓製作史上最も重要な人物として名を残した「フランソワ・トゥールテ」が弓製作の歴史に深く関わりを持っているのは事実です。そこで彼の生い立ちと足跡を追ってみます。


【 Francois Xavier TOURTE の生涯 】
17484月17日〜25日の間に次男として Saint-Antoine で生まれたようである。父 Nicolas Pierre TOURTE は大工であり、弓職人、そしてバイオリン作りでもあった。
17568歳兄、Nicolas Leonardo TOURTE は父の仕事場でスネークウッドやアイアンウッドを使用して弓のスティック作りを試していた。それを見て Francois は兄と同じ仕事をしようとしたが、父親は時計作りの道に進ませた。
当時、弓製作の収入だけでは生活が苦しかったので、父親は子供達にもっと稼げる仕事として、時計作りを学ばせた。
176012歳時計作りを本業とする。
時計作りのかたわら、弓のスクリューやメネジの研究、象牙やべっ甲などの珍しい素材についても勉強していた。
176416歳父親が他界。
176818歳時計作りでは成果が上がらなかったので、弓製作に力を入れ始める。
177426歳パリのシャントレ通りに初めて自分の店を構え、兄も一緒に仕事を始める。
パリではお店を経営する為に免許を取得する必要があったが、それがなかった為、寺院の中にある特別施設に店を構えた。
海外から色々な種類の木材を輸入し実験していた。初期の時代はお金がなく、一番安いもの(砂糖を輸入するために使った樽)ですら材料にしていた。実験の結果、価格的には一番高価なフェルナンブーコが一番楽弓に適していると発見。
178032歳このころ Marie Jeanne Francois Emery と結婚。
178234歳バイオリニスト Jean-Baptiste Viotti との出会い。TOURTE 兄弟の評判を聞きつけやってきた。
ヘッドとフロッグの高さが等しい、反りのある弓を要求された。
178537歳このころ、娘の Marie Jeanne Felicite が生まれる。
178638歳3月1日、息子の Louis Francois が生まれる。
179042歳Viotti と R.Kreutzer 両名のバイオリニストからアドバイスを受け、共に研究を重ね、5年の歳月をかけて現代にその名を残す弓を完成させる。
弓毛の不安定さを補うためにリング(フェルール)を発明。
同時にオープンフロッグからスライドのある、カバードフロッグへの改良
スティックの重量バランスを確立。
179143歳免許がなくても自由に店を営業できる様になったので、今まで以上に活発な活動をする。フランス革命の始まりの頃、自治体の廃止。
179244歳革命の中、Viotti はストラディバリのバイオリンと F.TOURTE の弓とともにフランスを発った。
ボトムヒールに3本のピン。1790〜95にかけてスタンプは“TOURTE”を使用。
179446歳Leonardo TOURTE は政治的理由から家族と離縁した。
この頃、チェロ弓は高いヘッドのスワンネックモデルを採用し、フレンチ弓の新しいスタイルを作る。
180052歳6月15日、セーヌ川の川岸にあるビルの4階に店を移転する為に、自分が弓製作者であり、その仕事が優秀である事の証明書を発行してもらい、賃貸契約を結んだ。
弓のサイズを確立した。
 Vn: 73cm / 60g
 Va: 72.5cm / 70g
 Vc: 70cm / 80g
1805年頃までは丸型の弓が多かった。1805年以降はほとんど八角形のスティックで作る。
180860歳弓製作において、フランス国内だけではなく、海外にも革命を起こすような理想的な弓を生み出した。このとき F.TOURTE は60歳、彼の黄金期を迎えていた。
181769歳12月30日 妻 Marie Jeanne Francois Emery が他界。娘の Felicite がその後一生共に暮らし、弓毛の選別をしていた。
他の製作者が材料不足に悩んでいる中、F.TOURTE は大量に良質のフェルナンブーコを在庫していた。そしてこれらを惜しげもなく使って名弓を製作し続けた。
182072歳高齢にしてまだ腕は衰えず。特にかんなを使う腕は一流であった。
183082歳住居をアトリエ近くに構え、弓製作もさる事ながら、趣味の釣りに多くの時間を費やすようになる。F.TOURTE は釣りが趣味で、時間さえあれば、釣りを楽しんでいたらしい。
183587歳4月25日 パリの自宅で他界した。


このようにF.トゥールテは約75年間に渡り弓製作と研究に時間を費やしてきました。一流の弓製作者が一生涯で製作する弓の本数は約19,000本といわれています。単純計算すると、彼らは週6日間、一日10〜12時間働き、11〜15本位の弓を作り続けているということになります。
しかしF.トゥールテは1本1本丁寧に時間をかけて完璧を求めて製作した事で、実際の製作本数は不明であるが、現在約5,000本程度の弓が残っていると推定されています。

偉大なF.トゥールテが歴史に残る弓を製作出来た事は、小さい頃から恵まれた環境にあったおかげであるのはいうまでもないでしょう。彼が弓製作において新しい技術と芸術を高める事ができたのは、父親や兄あってのものなのです。そして現在の弓の形を作り出したのはもちろんF.トゥールテの努力と才能は計り知れないものですが、ビオッティやKreutzerといった若い演奏家達の演奏上の厳しい要求や指摘があったからこそできたものなのです。