FETIQUE, Victor Francois1872 - 1933
ヴィクトル・フランソワ・フェティーク



ヴィクトル・フランソワ・フェティークは19世紀後半に生まれ、当時、フランスの殆どの弓職人が集まっていたチャールズ・ニコラス・バザンの工房で修行を積み、技術の腕を磨きました。さらに晩年には、沢山の職人を育てる傍ら、フランスの最も素晴らしい職人に送られるとても名誉な賞“Une des meilleurs ouvriers de France”を受賞し、名実ともに一級の職人として歴史にその名を残しました。


【 Victor Francois FETIQUE の生涯 】
18728月9日 ミルクールにて、バイオリンメーカーの父 Charles Claude と母 Anne Josephine Barbe の間に長男として生まれる。
弟は同じく弓職人であった Jules FETIQUE
彼は父親の下ではもちろん、HUSSON 一族の一員としても弓製作の修行をはじめた。その後腕を伸ばし、Charles Nicolas BAZIN の工房で才能を開花させた。
BAZIN 工房の特徴であったフロッグのヒールを斜めに継ぐ方法や細いヘッドの形を取り入れていた。
189624歳地元ミルクールにて Jeanne Madeleine Meyer と結婚。
189927歳息子の Marcel Gaston が生まれる。後に息子は父 Victor Francois FETIQUE の下で弓製作や商売について学んだ。
190129歳C.N.BAZIN の工房での修行を終えて、パリの CARESSA & FRANCAIS の工房で働く為に、ミルクールを発った。
彼はこの工房に12年間勤め、同時期共に働いていた THOMASSIN の影響を受け、フェルールがわずかに丸みを帯びていた。
手作りのニッケルシルバーを取り付けた弓も作った。
191341歳パリのMyrha通りに独立して自分の店を構えた。初めの内は控えめに商売をしていた。
191543歳この頃からお店が繁盛し始めてお客が増えていった。しかし、時には、お客からの無理な注文があり、悩んでいる事もあったらしい。
192149歳弟の Jules FETIQUE にも援助を頼んだ他に、ミルクールの様々な職人 Albert THOMASSIN、Auguste TOUSSAIN、Camille REMI そして Louis MORIZOT などにも弓の製作を委託していた。彼らによって製作された弓はパリの FETIQUE の元に届けられ手直しをして、彼の商品として販売された。
フロッグにべっ甲を用いた弓で、貝目の部分に金でゆりの花をモチーフにした装飾をあしらった弓はとてもエレガントである。
193360歳1月9日 他界した。


ヴィクトル・フランソワ・フェティークは、自分自身で弓を製作する以外にも、様々な職人を雇い自分の弓の製作の手伝いをさせましたが、息子の Marcel Gaston や甥の Andre Georges RICHAUME などと共同して製作した弓は出来が良く、評価も高いです。 さらに、彼のスタンプの押してある弓は他に3種類あります。
1. 本人と弟子の合作
2. 工房製
3. ミルクール製を手直したもの