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1872 | | 8月9日 ミルクールにて、バイオリンメーカーの父 Charles Claude と母 Anne Josephine Barbe の間に長男として生まれる。 弟は同じく弓職人であった Jules FETIQUE。 彼は父親の下ではもちろん、HUSSON 一族の一員としても弓製作の修行をはじめた。その後腕を伸ばし、Charles Nicolas BAZIN の工房で才能を開花させた。 BAZIN 工房の特徴であったフロッグのヒールを斜めに継ぐ方法や細いヘッドの形を取り入れていた。
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1896 | 24歳 | 地元ミルクールにて Jeanne Madeleine Meyer と結婚。
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1899 | 27歳 | 息子の Marcel Gaston が生まれる。後に息子は父 Victor Francois FETIQUE の下で弓製作や商売について学んだ。
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1901 | 29歳 | C.N.BAZIN の工房での修行を終えて、パリの CARESSA & FRANCAIS の工房で働く為に、ミルクールを発った。 彼はこの工房に12年間勤め、同時期共に働いていた THOMASSIN の影響を受け、フェルールがわずかに丸みを帯びていた。 手作りのニッケルシルバーを取り付けた弓も作った。
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1913 | 41歳 | パリのMyrha通りに独立して自分の店を構えた。初めの内は控えめに商売をしていた。
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1915 | 43歳 | この頃からお店が繁盛し始めてお客が増えていった。しかし、時には、お客からの無理な注文があり、悩んでいる事もあったらしい。
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1921 | 49歳 | 弟の Jules FETIQUE にも援助を頼んだ他に、ミルクールの様々な職人 Albert THOMASSIN、Auguste TOUSSAIN、Camille REMI そして Louis MORIZOT などにも弓の製作を委託していた。彼らによって製作された弓はパリの FETIQUE の元に届けられ手直しをして、彼の商品として販売された。 フロッグにべっ甲を用いた弓で、貝目の部分に金でゆりの花をモチーフにした装飾をあしらった弓はとてもエレガントである。
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1933 | 60歳 | 1月9日 他界した。
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