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1791 | | 1月25日 ミルクールで生まれた。 父親は弓製作者の Louis Simon PAJEOT。
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1801 | 10歳 | この頃から父親に付いて弓製作を習い始めた。 父親と同じスタイルで製作。ノーズ部分がやや尖り気味でフロッグは長くて高さが低い。
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1804 | 13歳 | 父 L.S.PAJEOT が他界。
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1815 | 24歳 | 5月4日 Catherine Perrin と結婚。 この時期 PAJEOT は軍隊に所属していたが、しばらくして特別に除隊許可を得た。 この頃から、PAJEOT のオリジナルのスタンプ弓が見られる。
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1819 | 28歳 | ミルクールで自分の作品の個展を開いた。
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1820 | 29歳 | 弓のスタイルが徐々に変化してきた。ヘッドのフェイス部分が幅広く、華奢で平ら。フロッグの高さが高くなった。
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| | パリで活動している弓やバイオリン職人達と商売の取引をしたり、情報を仕入れたりなどして、常に新しい事柄に敏感でいた。 彼は弓の金属に、金、銀、銅そしてニッケルシルバーなどを用いた。スティックもフェルナンブーコ以外にスネークウッドやアイアンウッドを使用した。
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1830 | 39歳 | 商売が繁盛し、何人か職人を雇った。この時期 Claude Joseph FONCLAUSE が共に働いていたと考えられる。
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1834 | 43歳 | 世界博覧会に参加。 彼はフロッグの細工にもこだわり、色の違う貝目などを用いて、非常に美しい仕上げとなっている。 この頃 Nicolas Remy MAIRE が彼の工房に出入りし始めたのではないかと考えられる。
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| | この時期2つの新しい弓のスタイルを発明した。 1つはヘッド部分とフロッグに毛を引っ掛ける穴を作り、簡単に毛替えが出来る弓を発明した。しかしこれは同時期に J.B.VUILLAUME も考案していて、先に特許を申し出た Vuillaume の発明とされている。 2つめはスティックにあるフロッグが収まる穴を強化する為に、穴の側面を銅製のプレートで覆い、磨耗するのを防いだ。この発明は他の製作者に大きな影響を与えた。
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1840 | 49歳 | この頃黄金期を迎え、生産量もピークを迎えていた。
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1849 | 58歳 | 8月24日 自宅で他界した。
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