PAJEOT, Etienne1791 - 1849
エティエンヌ・パジョー



エティエンヌ・パジョーは、フランソワ・トゥールテと同世代に活躍し、レベル的にも高い実力をもった製作者であったと言われています。しかし、パジョーはトゥールテのようにパリに店を構えず、生涯、地元のミルクールで過ごしました。この時代、弦楽器の弓は、古典からモダンに様式を変え、また実験的に様々な木材が弓のスティックに使用されていました。
エティエンヌ・パジョーの製作した弓も実に様々なスタイルの物があり、弓の歴史を感じさせます。


【 Etienne PAJEOT の生涯 】
17911月25日 ミルクールで生まれた。
父親は弓製作者の Louis Simon PAJEOT
180110歳この頃から父親に付いて弓製作を習い始めた。
父親と同じスタイルで製作。ノーズ部分がやや尖り気味でフロッグは長くて高さが低い。
180413歳L.S.PAJEOT が他界。
181524歳5月4日 Catherine Perrin と結婚。
この時期 PAJEOT は軍隊に所属していたが、しばらくして特別に除隊許可を得た。
この頃から、PAJEOT のオリジナルのスタンプ弓が見られる。
181928歳ミルクールで自分の作品の個展を開いた。
182029歳弓のスタイルが徐々に変化してきた。ヘッドのフェイス部分が幅広く、華奢で平ら。フロッグの高さが高くなった。
パリで活動している弓やバイオリン職人達と商売の取引をしたり、情報を仕入れたりなどして、常に新しい事柄に敏感でいた。
彼は弓の金属に、金、銀、銅そしてニッケルシルバーなどを用いた。スティックもフェルナンブーコ以外にスネークウッドやアイアンウッドを使用した。
183039歳商売が繁盛し、何人か職人を雇った。この時期 Claude Joseph FONCLAUSE が共に働いていたと考えられる。
183443歳世界博覧会に参加。
彼はフロッグの細工にもこだわり、色の違う貝目などを用いて、非常に美しい仕上げとなっている。
この頃 Nicolas Remy MAIRE が彼の工房に出入りし始めたのではないかと考えられる。
この時期2つの新しい弓のスタイルを発明した。
1つはヘッド部分とフロッグに毛を引っ掛ける穴を作り、簡単に毛替えが出来る弓を発明した。しかしこれは同時期に J.B.VUILLAUME も考案していて、先に特許を申し出た Vuillaume の発明とされている。
2つめはスティックにあるフロッグが収まる穴を強化する為に、穴の側面を銅製のプレートで覆い、磨耗するのを防いだ。この発明は他の製作者に大きな影響を与えた。
184049歳この頃黄金期を迎え、生産量もピークを迎えていた。
184958歳8月24日 自宅で他界した。


エティエンヌ・パジョーは短い生涯で非常に沢山の弓をのこしました。また、新しい技術を取り入れ、弓の発展に貢献しました。
彼は、弓のスティックの材料が重要であると考え、選別に力を注ぎました。また、その他の金属やフロッグの材料、貝なども全て一流の品質のものを使用していました。
その為彼の作品は、演奏家はもちろん、その外観から、世界中のコレクターによって求められています。