FONCLAUSE, Claude Joseph1799 - 1862
クロード・ジョゼフ・フォンクローズ



クロード・ジョゼフ・フォンクローズは18世紀の終わりのフランス革命の時代に生まれ、当時活躍していた製作者 E.パジョーについて弓製作を学びました。また、彼のスタイルが様々に変化している事から、多くの製作者の下で仕事をしていたと考えられています。


【 Claude Joseph FONCLAUSE の生涯 】
17994月24日 父 Jean-Baptiste と母 Marguerite Frebinet の間に生まれる。
彼は Etienne PAJEOT の下で弓製作について学び始めた。
2人の年齢はわずか8歳しか離れていない。
182021歳この頃彼の製作した弓の特徴がE.PAJEOTのものに似ている事から、まだ同じ工房で働いていたと考えられている。
ヘッドは丸みを帯びていて、前の方の形がとても良い。フロッグは長くて、のど部分は大きめにカットされている。アジャスターの八角面に時々丸いパールが八つ施されている。
182627歳5月1日、ミルクールで Catherine Louise Contal と結婚。
182728歳長男の Nicolas が生まれる。製作者にはならずに、別の仕事についた。
183031歳次男の Maurice Sebastien が生まれる。後にパリ郊外でバイオリン製作者となった。
183233歳パリに上京する。
この時期の作品が F.X.TOURTE の弓に似ている事から、この工房で働いていたのではないかと考えられているが、確かな事は、この時期に彼は J.B.VUILLAUME の工房に出入りしていて、弓製作はもちろん、修理や調整、商売の方法などを学んだ。
184041歳パリのPagevin通りに自分の店を構える。
その後も彼は Vuillaume の工房からの注文に対しても弓を製作し続けた。
E.PAJEOT のスタイルが製作の中心であったが、1850年頃から Peccatte-Simon スタイルとなっていった。
185253歳引き続き、Vuillaume の為に弓を作り続けたが、この頃から徐々に SIMON のスタイルが見える様になった事から、近くに店を構えていた、SIMON の工房の為に弓を製作していたと考えられる。
パリの外れ、モンマルトルにあるConstantine通りに引越し、老後を過ごした。
体調を崩し、徐々に弓の生産量が減っていった。
186262歳1月7日、パリで他界した。


このようにクロード・ジョゼフ・フォンクローズは自分自身の弓を製作しながら、様々な工房の注文に対しても弓を製作しました。自分のスタイルを保ちながら、他の工房のスタイルを真似して弓を製作する事はとても困難なように思えます。
また、彼は1820年頃、フランソワ・リュポの下で働くためにパリへ発ったと言われていますが、その時期のスタイルがF.リュポの物とは全く異なる事から、その可能性は低いようです。