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1799 | | 4月24日 父 Jean-Baptiste と母 Marguerite Frebinet の間に生まれる。 彼は Etienne PAJEOT の下で弓製作について学び始めた。 2人の年齢はわずか8歳しか離れていない。
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1820 | 21歳 | この頃彼の製作した弓の特徴がE.PAJEOTのものに似ている事から、まだ同じ工房で働いていたと考えられている。 ヘッドは丸みを帯びていて、前の方の形がとても良い。フロッグは長くて、のど部分は大きめにカットされている。アジャスターの八角面に時々丸いパールが八つ施されている。
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1826 | 27歳 | 5月1日、ミルクールで Catherine Louise Contal と結婚。
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1827 | 28歳 | 長男の Nicolas が生まれる。製作者にはならずに、別の仕事についた。
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1830 | 31歳 | 次男の Maurice Sebastien が生まれる。後にパリ郊外でバイオリン製作者となった。
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1832 | 33歳 | パリに上京する。 この時期の作品が F.X.TOURTE の弓に似ている事から、この工房で働いていたのではないかと考えられているが、確かな事は、この時期に彼は J.B.VUILLAUME の工房に出入りしていて、弓製作はもちろん、修理や調整、商売の方法などを学んだ。
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1840 | 41歳 | パリのPagevin通りに自分の店を構える。 その後も彼は Vuillaume の工房からの注文に対しても弓を製作し続けた。 E.PAJEOT のスタイルが製作の中心であったが、1850年頃から Peccatte-Simon スタイルとなっていった。
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1852 | 53歳 | 引き続き、Vuillaume の為に弓を作り続けたが、この頃から徐々に SIMON のスタイルが見える様になった事から、近くに店を構えていた、SIMON の工房の為に弓を製作していたと考えられる。 パリの外れ、モンマルトルにあるConstantine通りに引越し、老後を過ごした。 体調を崩し、徐々に弓の生産量が減っていった。
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1862 | 62歳 | 1月7日、パリで他界した。
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