PAJEOT, Louis Simon1759 - 1804
ルイ・シモン・パジョー



ルイ・シモン・パジョーはフランソワ・トゥールテと同時期に存在した弓製作者ですが、彼の製作した弓は数が少なく、また、焼印を押す習慣が定着していなかった事などから、判別が困難とされています。フロッグにアンダースライドがない為に、破損している物が殆どで、オリジナルの作品はきわめて貴重な物です。


【 Louis Simon PAJEOT の生涯 】
1759フランスの Grenoble で生まれた。
家族でミルクールに移り住んだ。L.S.PAJEOT はミルクールの職人に付いて弓製作を学んだと考えられているが、それがどの工房で、誰なのかは、明らかではない。
F.X.TOURTE も使用していた“Cramer”というスタイルの弓を製作していた。
178526歳L.S.PAJEOT が製作したと判別できる最も古い弓はこの時期の作品。
彼の焼印“PAJEOT AMT”の“AMT”の部分は何を表しているのか不明だが、おそらく“A MIRECOUT”の略ではないかと考えられる。シャンファーは殆ど真直ぐだが、フェイス部分のカーブがきつく、ノーズからヘッドの先端まで急に上がっている。
後期はヘッドのノーズ部分が細く、美しいスタイル。フロッグは長く低めで、星型の貝や象牙が装飾されている。
178829歳Barbe Catherine Rellot と結婚。
179132歳1月 息子の Etienne PAJEOT が生まれる。妻は息子を出産してわずか6日後に亡くなった。
9月 Anne Pilon と再婚した。
2度目の結婚で5人の子供を設けたが、一人も弓製作の道には進まなかった。
180142歳息子の E.PAJEOT が弓製作を習いはじめた。
180445歳1月18日 若干45才で他界した。


ルイ・シモン・パジョーは息子のエティエンヌ・パジョーが修行を始めてからわずか3年でこの世を去りました。しかし、彼の持っている弓作りに関する知識や技術は惜しげもなく息子に継承されていました。現在も広く知られているように、エティエンヌ・パジョーは才能ある製作者として素晴らしい弓を沢山残しているのは、父ルイ・シモン・パジョーの優れた教育あっての事と言えるでしょう。