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1759 | | フランスの Grenoble で生まれた。
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| | 家族でミルクールに移り住んだ。L.S.PAJEOT はミルクールの職人に付いて弓製作を学んだと考えられているが、それがどの工房で、誰なのかは、明らかではない。 F.X.TOURTE も使用していた“Cramer”というスタイルの弓を製作していた。
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1785 | 26歳 | L.S.PAJEOT が製作したと判別できる最も古い弓はこの時期の作品。 彼の焼印“PAJEOT AMT”の“AMT”の部分は何を表しているのか不明だが、おそらく“A MIRECOUT”の略ではないかと考えられる。シャンファーは殆ど真直ぐだが、フェイス部分のカーブがきつく、ノーズからヘッドの先端まで急に上がっている。 後期はヘッドのノーズ部分が細く、美しいスタイル。フロッグは長く低めで、星型の貝や象牙が装飾されている。
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1788 | 29歳 | Barbe Catherine Rellot と結婚。
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1791 | 32歳 | 1月 息子の Etienne PAJEOT が生まれる。妻は息子を出産してわずか6日後に亡くなった。 9月 Anne Pilon と再婚した。 2度目の結婚で5人の子供を設けたが、一人も弓製作の道には進まなかった。
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1801 | 42歳 | 息子の E.PAJEOT が弓製作を習いはじめた。
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1804 | 45歳 | 1月18日 若干45才で他界した。
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