CUNIOT, Eugene  通称 "CUNIOT-HURY"1861 - 1910
クニオ・ユーリ



クニオ・ユーリは19世紀後半から20世紀の初めにかけて、沢山の職人を育て、大量の弓を製作しました。同時期に活躍していたC.N.バザンの影響を受け、彼のスタイルに少しずつ変化が見られるのも特徴のひとつです。
また、彼のスタンプでも馴染みの深い‘CUNIOT-HURY’は自分の苗字と彼の妻であったFrancoise Margueriteの旧姓‘HURY’を合わせたのではないかと考えられます。


【 Eugene CUNIOT の生涯 】
186112月22日ミルクールにて、弓製作者であった父、Pierre CUNIOT と Marie Josephine の間に生まれる。
187312歳それまで様々な製作者のもとで働いていた父親が独立して店を構え、Hury は、父親に弓製作を習い始めたが、すぐに才能を発揮した彼は父親のアシスタントとして働き始めた。
PierreCuniot は Peccatte、Voirin、Vuillaume などの影響を受けて弓を製作した。
188423歳父親が亡くなり、若干23才で工房を継ぐ事になった。
この時期、彼の製作した弓は父親のものと、とても良く似ている。
189433歳Francoise Marguerite Hury と結婚。
妻の実家はピアノメーカーとして名実ともに評判が良く、この結婚で Cuniot は名が知られるようになった。
190140歳他の工房からも弓の注文が沢山入り、工房が忙しくなってきた為、何人か職人を雇った。
190645歳彼は製作者としても黄金期を迎え、工房では12人もの職人を雇っていた。
Charles Nicolas BAZIN のスタイルを、フロッグやアジャスターに取り入れ、ヘッド部分には自分のスタイルを残した。
191048歳6月29日、ミルクールにて他界した。


通常、自分の工房を経営し、他の職人を雇っている製作者達は、出来る限り自分のスタイルに近い弓を職人達に作らせて、常に平均的な品質を保つようにする事が主流の中で、クニオ・ユーリは雇っていた職人達に自分のスタイルを強要せずに、各自自由に弓を製作させ、自分の焼印を押して商品としました。その為、“CUNIOT-HURY”または“C-H”とスタンプが押された弓は実に様々なスタイルで世の中に出回っています。その中でも、彼の右腕として長い間共に働いてきたE.F.ウーシャの製作した弓は“CUNIOT-HURY”“C-H”とスタンプが押されていますが、ウーシャのものとはっきり見分ける事ができます。
クニオ・ユーリの死後、彼の妻とE.F.ウーシャが工房を引き継ぎ経営していきました。
彼の実力は同世代の弓製作の巨匠であったC.N.バザンに追いつく事は出来ませんでした。


クニオ・ユーリの主な弟子
1901年頃:Emile Francois OUCHARD、Louis LANGONET、Andre Alfred PIROUE、Victor BROUILLIER、Albert OUDOT、Ernest BOUKO、Paul MASSICARD

1906年頃:Alexandre MALINE、Pierre MALINE、Emile Francois OUCHARD、Rene MOINEL、Paul MASSICARD、Auguste MALINE、Jules MANGIN、Alfred LAMY、Emile BAUL、Jules BONTEMPS、Louis LANGONET、Albert THOMASSIN