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1822 | | 2月28日 ミルクールで生まれる。 父親の Guillaume MALINE はバイオリンと弓作りをしていた。父のGuillaumeは2度の結婚で13人の子供を設けた。初めの結婚では5人の男の子が産まれ、長男、次男、末っ子がバイオリン作りの道に進み、三男と四男の Nicolas は弓作りになった。2度目の結婚では8人の子供のうち4人が女子であった。男子の子供の内3人はバイオリン作りを、残りの1人は弓作りをした。 Nicolas MALINE は他の兄弟と共に父親の工房で弓製作の勉強をした。その後、Etienne PAJEOT の工房で働き、そこで Nicolas Remy MAIRE と出会い、公私共に親しい間柄となった。
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1840 | 18歳 | この頃、J.B.VUILLAUME の工房で働き始めた。Vuillaume は MALINE を雇ってすぐに、Vuillaume スタイルのフロッグで弓を製作するように指示を出したが、その他の部分においては自由にまかせた。 それまで、Peccatte スタイルで弓を製作していた MALINE は、丸い Vuillaume スタイルのフロッグを作るのは初めての事であったが、彼の弓作りの才能は Vuillaume も認めるほどであった。
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1849 | 27歳 | この頃 MALINE はある軍隊に所属しており、その証として自分の製作した弓に名前と十字のマークの焼印をおした。その後彼の評判は徐々に高くなり、独立して店を構えたが、その後も Vuillaume の為に弓を製作しつづけた。初期の頃の作品と比べると、やはり Vuillaume の影響を受けている事が分かる。彼の後期のフロッグ部分は丸みを帯びていて徐々に洗練されてきている。
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1850 | 28歳 | 故郷のミルクールで4月24日、Marie Anne Grandcolas と結婚。
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1855 | 33歳 | この頃から兄弟や親族を含めたバイオリンメーカーに弓を製作して販売していた。弓の材料には品質によって、スネークウッドやアイアンウッドにはニッケルシルバー、そしてフェルナンブーコにはシルバーやべっ甲金を用いた。
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1860 | 38歳 | 当時の流行に沿って、ヘッド部分も徐々に丸みを帯びてきた。中にはヘッドの高さが低い物もある。
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1870 | 48歳 | この時期に作成された彼のスタンプ付きの弓が今までの物と明らかに作風の違う弓が存在するようになる。この事から息子の Nicolas Auguste Eugene がアシスタントとして共に働き始めたのではないかと考えられる。 この頃から作品の品質が徐々に落ちているが、この時期のフランスとプロシアの戦争で何らかの影響を受けたのではないかと考えられる。
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1877 | 55歳 | 4月28日に他界。
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