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1905 | | 2月8日 ミルクールで生まれる。 父 Louis Justin RICHAUME はバイオリン製作者であった。 A.RICHAUME はミルクールの弓製作工房で修業を始めたとされているが、どの工房かははっきりと分かっていない。おそらく彼の兄も通っていた Emile OUCHARD の工房ではないかと考えられている。 修業を終えた頃、彼は自分自身のスタイルを確立し、十分な実力を身に付けていた。
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1927 | 22歳 | 兵役義務を終えた RICHAUME はパリに店を構えていた叔父の Victor FETIQUE の下で働き始めた。 彼は時々、もう一人の叔父 Jules FETIQUE のアシスタントも勤めていた。 そして、この頃 FETIQUE 兄弟と関わりの深かった、Eugene SARTORY を知り、影響を受けていった。彼のスタイルはより、洗練され上品になっていった。今までの OUCHARD の角型スタイルから丸みを帯びたスタイルへと変化し、より均整のとれた全体的に力強い弓になっていった。
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1932 | 27歳 | Marie Marcelle Zoe Grelot と結婚した。 FETIQUE の工房を出て、パリの18区 Boulevard de Clichy に自分の店を構えた。 彼は強い信念を持って仕事に望んでおり、自分の弓には良質のフェルナンブーコだけを選別して用いていた。スティックの色は主に、ゴールデン・イエローから深い赤色の物が使用されている。
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1937 | 32歳 | この頃から、世界で活躍していた演奏家達に彼の弓が評価され始め、弓製作者の CHARDON の工房から、パリで行われた一流の弓製作者だけが出展できる展示会への誘いを受けた。しかし、A.RICHAUME は依頼された期間までに自分の納得出来る弓が製作出来なかった為に、この申し出を断り、弓を出展しなかった。
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1955 | 50歳 | フランスの最優秀職人賞を受賞した。
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1958 | 53歳 | 当時、活躍していたバイオリニスト David Oistrakh も彼の弓を気に入り、店に通っていたと言われている。 あまり、広く知られていないが、A.RICHAUME は製作者としてだけではなく、修理人としても素晴らしい技術を持ち、過去の巨匠達の弓のスタイルを守り続けていった。 後期にかけて彼のスティックは徐々に太くなっていった。後期の弓には金を使用したとても美しいものがある。
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1966 | 61歳 | 3月31日 病気のため他界した
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