OUCHARD, Emile Francois1872 - 1951
エミール・フランソワ・ウーシャ



エミール・フランソワ・ウーシャは19世紀から20世紀にかけて活躍した製作者で、E.A.ウーシャの父親にあたります。彼は沢山の職人を雇い、優秀な弓職人として育てました。後の息子のE.A.ウーシャのすばらしい活躍には、幼い頃の父親の指導なしには、実現する事はなかったでしょう。しかし、個性の強かった息子との意見のすれ違いから、工房を継承していく事は出来ずに、離れて暮らさなければなりませんでした。


【 Emile Francois OUCHARD の生涯 】
18724月30日 ミルクールで生まれる。
188614歳CUNIOT-HURY の工房に弟子入りし、その後めきめきと実力を付け、信頼できる助手として成長していった。
189624歳1月9日 Marie-Josephine Collin と結婚。
彼らは10人の子供に恵まれたが、その内9人が女子で唯一生まれた息子の Emile Auguste OUCHARD が後に父親にならい、弓製作者となった。
191038歳師であった CUNIOT-HURY が他界し、彼の未亡人と一緒に工房を継いだ。
191341歳E.A.OUCHARD も工房に出入りするようになった。
スタンプは“Emile OUCHARD”と“CUNIOT-HURY”両方使用していた。スティックはラウンド型が多い。
192250歳CUNIOT-HURY の工房を閉鎖した。
192351歳ミルクールに自分の店を構える。
193664歳息子を含め、15人ほどの職人を雇っていた。
息子の E.A.OUCHARD は工房を譲るように父親に訴えたが、意見が合わず、パリへと旅立ってしまった。
Vuillaume スタイルのフロッグも製作した。
E.F.OUCHARD のオリジナルのスタンプが押された弓も幾つか残っているが、彼は主にフランスや海外のバイオリンメーカーの為に弓を製作していた為、それぞれのメーカーのスタンプが押された弓が多く存在する。
彼がリタイヤした頃には、数人の職人と一人の弟子だけが残っていた。
195179歳2月27日に他界した。


エミール・フランソワ・ウーシャはとても真面目で、指導力に優れていました。
この工房から独立し活躍した弓職人は非常に評判がよく、その後沢山の価値ある弓を残していきました。その中でも特に際立って良い弓があります。それらは息子が工房にいた頃に共同で製作した弓で、非常に品質が高く、美しいものです。また、彼は生涯一度もミルクールを離れる事はありませんでした。


E.F.OUCHARD工房出身の弓職人:
Paul AUDINOT、Louis BRUGERE、Paul BARJONNET、Francois LOTTEAndre RICHAUME、Raymond RICHAUME、Marcel MANGENOT、等