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1872 | | 4月30日 ミルクールで生まれる。
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1886 | 14歳 | CUNIOT-HURY の工房に弟子入りし、その後めきめきと実力を付け、信頼できる助手として成長していった。
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1896 | 24歳 | 1月9日 Marie-Josephine Collin と結婚。 彼らは10人の子供に恵まれたが、その内9人が女子で唯一生まれた息子の Emile Auguste OUCHARD が後に父親にならい、弓製作者となった。
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1910 | 38歳 | 師であった CUNIOT-HURY が他界し、彼の未亡人と一緒に工房を継いだ。
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1913 | 41歳 | E.A.OUCHARD も工房に出入りするようになった。 スタンプは“Emile OUCHARD”と“CUNIOT-HURY”両方使用していた。スティックはラウンド型が多い。
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1922 | 50歳 | CUNIOT-HURY の工房を閉鎖した。
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1923 | 51歳 | ミルクールに自分の店を構える。
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1936 | 64歳 | 息子を含め、15人ほどの職人を雇っていた。 息子の E.A.OUCHARD は工房を譲るように父親に訴えたが、意見が合わず、パリへと旅立ってしまった。
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| | Vuillaume スタイルのフロッグも製作した。 E.F.OUCHARD のオリジナルのスタンプが押された弓も幾つか残っているが、彼は主にフランスや海外のバイオリンメーカーの為に弓を製作していた為、それぞれのメーカーのスタンプが押された弓が多く存在する。
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| | 彼がリタイヤした頃には、数人の職人と一人の弟子だけが残っていた。
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1951 | 79歳 | 2月27日に他界した。
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