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1821 | | 3月10日 ミルクールで生まれる。 父 Jean-Francois は美容師であった。 11才離れた兄の Dominique PECCATTE はこの頃、父の仕事を継ごうと考えていた。 おそらく、ミルクールで弓製作の修行を始めたと考えられる。
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1840 | 19歳 | この頃には既にパリへ出て活躍していた兄 D.PECCATTE のツテでパリへ行き、さらに腕を磨く機会が訪れた。 この時期兄弟で共同制作した作品が見られる:ヘッドは力強く角ばっている。フロッグの作りが兄弟で非常によく似ている。
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1842 | 21歳 | 確かな日時は不明だが、彼は2年足らずでミルクールに戻ってきた。
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1843 | 22歳 | Marie Francoise Mougeot と結婚した。 彼らは5人の子供に恵まれた。
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1844 | 23歳 | この頃商売が繁盛していて、何人かの職人を雇っていたようだ。 この頃、弓のスティックにはフェルナンブーコ以外にもアイアンウッドなどを使用している。
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1847 | 26歳 | 兄 D.PECCATTE がミルクールに帰ってきた。彼らはパートナーとしてではなく、時々お互いの仕事を手伝う程度で、独立して製作活動を続けた。 この時期製作された弓は、彼の作品の中で最も美しい。
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1850 | 29歳 | 息子 Charles Francois PECCATTE が生まれた。 5人の子供の中で彼だけが弓製作者となった。
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1851 | 30歳 | ミルクールの家を売却し、家族でパリへ移り住んだ。
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1852 | 31歳 | J.B.VUILLAUME の工房で働き始めた。 J.B.VUILLAUME の工房で製作された彼の弓は、残念な事に、他の製作者が作った弓と見分けが付かない。
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1853 | 32歳 | 工房を出て、一人で弓を製作するようになった。出来上がった弓は時々ミルクールに戻って販売していた。
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1855 | 34歳 | パリの自宅で他界した。 最期のころに製作された弓はやや品質の低下が見られる。
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