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1774 | | フランスのパリから100キロほど離れた町 Orleans で生まれた。 父 Francois LUPOT I世はその場所で工房を構えバイオリン作りをしていた。初め彼は父親の下でバイオリン作りを学んでいたが、そこで Lolli というスタイルの弓をみて興味を持ち、自分で弓製作の勉強を始めた。 フランスの有名なバイオリン製作家 Nicolas LUPOT は彼の兄にあたる。彼の生まれ故郷の Orleans は染色の町として有名で、その中の‘ブラジル染め’はフェルナンブーコを原料としていた。この状況から、おそらく Lupot が初めてフェルナンブーコという木材を弓のスティックに用いたのではないかと考えられる。
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1794 | 20歳 | 兄の Nicolas 達は更なる発展の為にビジネスの中心地パリへ上京した。この頃 Francois はまだ20才だったので、父の工房に残って手伝いを続けていたが、仕事で何度も故郷とパリを行き来する機会があった。この頃はまだ、お客の弓の修理や調整などの仕事が多かった。 パリに出入りする事で彼は Francois TOURTE に出会うことが出来た。この頃の特徴は、へッドはがっしりとしていて TOURTE のものによく似ていて、スティックは八角が多い。フロッグには殆ど装飾がなく、使用している金属は厚め。
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1804 | 30歳 | 父親が他界した。この頃 Leonard TOURTE のスタンプが押された弓で、LUPOT が製作したと考えられる弓があるので、アシスタントを務めていた可能性がある。
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1815 | 41歳 | パリの Angivilliers 通りに店を構えた。 最初の頃は自分の弓のラッピングの下にスタンプを押した。途中からはさらに、一般的なフロッグの上部分にもスタンプを押すようになった。
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1820 | 46歳 | 彼の評判は上々であった。
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1827 | 53歳 | 当時のニッケルシルバーはシルバーよりも高価で LUPOT はこれ等を弓の金属部分に用いた。 フロッグの消耗と欠けを防ぐ為に、金属のレールを取り付ける実験を始め、後にこれが、アンダースライドになった。
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1830 | 56歳 | 店が繁盛し、忙しくなってくる。
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1833 | 59歳 | この頃 Joseph Rene LAFLEUR をアシスタントに雇っていた。 スティックの形状は殆ど丸型になり、ヘッドは形がとても良く、シャンファーが以前より控えめ。フロッグは力強く、かつエレガントでやはり装飾は殆どない。
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1835 | 61歳 | Dominique PECCATTE が工房に出入りするようになって3人で弓製作に取り組んだ。
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1838 | 64歳 | 2月4日 パリにて他界。
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