ADAM, Jean (通称 GRAND ADAM)1823 - 1869
グランド・アダム



弓製作一家、アダム家の3代目として生まれたグランド・アダムは、1823年2月26日ミルクールで誕生しました。彼は、父ジーン・ドミニク・アダムのもとで弓製作を学び、天性の恵まれた才能を発揮し、すぐに父親を超える技術を身に付けてしまいました。しかし、彼の周りには自分よりすぐれた製作者がいなかったので、自暴自棄になりかけてしまいました。その事がきっかけになり、パリに行く事を決心し、J.B.ビヨームの元へと旅立つのでした。
それでは、グランド・アダムの生涯とその作品の特徴を追って見ましょう。


【 GRAND ADAM の生涯 】
1823 2月26日、弓製作者 Jean Dominique ADAM とその妻 Anne Deroux の間にミルクールにて生まれる
GRAND ADAM の祖父に当たる Jean ADAM はまだ現役で、J.D.ADAMと働いていた
1835 12歳 この頃から父親のもとで弓製作を学ぶ
才能豊かな彼は、父親のスタイルはもちろん当時著名であった Claude Joseph FONCLAUSE のスタイルも取り入れて弓を製作した
フロッグは TOURTE のスタイルを用いた
1841 18歳 普段から横暴であった Grand ADAM は暴行の罪で逮捕され、一日留置所へ入った事もあった
1842 19歳 事件後、故郷ミルクールを出て、パリの偉大な J.B.VUILLAUME 工房で働き始めた。そして、多くの仲間達と共に、新しい技術を学んでいった。
Vuillaume工房で働き始めると、彼の製作した弓はパリ風スタイルに変わっていった
金属のアンダースライドを使用した弓も作ったが、F.X.TOURTE のコピーをしたわけではないのに、限りなく近い作品も作った
1850 27歳 J.B.VUILLAUME の工房から独立。パリ市内に自分の店を構えた。
個人的には金属のアンダースライドを好んで取り入れていたが、経済的理由から、スライドを付けられなくなったようだ
1852 29歳 4月28日 Marguerite Hector と結婚。
子供が生まれ Nicolas と名前を付けた
1853 30歳 故郷ミルクールに帰りまた店を構えた
この頃からヘッドもフロッグも Peccatte-Simon スタイルに変わる。焼印が押されていない弓もある
1869 45歳 1月20日、他界した


グランド・アダムがパリの J.B.ビヨーム の工房にいた頃、沢山の作品を残していると思われますが、すべての弓が、彼の作品と断定するのは難しいと言われています。ミルクールに戻ってからの事はあまり詳しく分かりませんが、有力な説は、製作した弓をフランス国内のバイオリンメーカーに販売していたらしいという事です。グランド・アダムは45才という若さで他界していまいました。しかし、品質の良い弓を大量に残しました。
グランド・アダムの弓は、今でも偉大な演奏家達によって高く評価をされていて、時には、音質の面で F.X.トゥールテ の弓と同程度の評価を受ける事もあります。