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1823 |
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2月26日、弓製作者 Jean Dominique ADAM とその妻 Anne Deroux の間にミルクールにて生まれる GRAND ADAM の祖父に当たる Jean ADAM はまだ現役で、J.D.ADAMと働いていた
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1835 |
12歳 |
この頃から父親のもとで弓製作を学ぶ 才能豊かな彼は、父親のスタイルはもちろん当時著名であった Claude Joseph FONCLAUSE のスタイルも取り入れて弓を製作した フロッグは TOURTE のスタイルを用いた
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1841 |
18歳 |
普段から横暴であった Grand ADAM は暴行の罪で逮捕され、一日留置所へ入った事もあった
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1842 |
19歳 |
事件後、故郷ミルクールを出て、パリの偉大な J.B.VUILLAUME 工房で働き始めた。そして、多くの仲間達と共に、新しい技術を学んでいった。 Vuillaume工房で働き始めると、彼の製作した弓はパリ風スタイルに変わっていった 金属のアンダースライドを使用した弓も作ったが、F.X.TOURTE のコピーをしたわけではないのに、限りなく近い作品も作った
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1850 |
27歳 |
J.B.VUILLAUME の工房から独立。パリ市内に自分の店を構えた。 個人的には金属のアンダースライドを好んで取り入れていたが、経済的理由から、スライドを付けられなくなったようだ
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1852 |
29歳 |
4月28日 Marguerite Hector と結婚。 子供が生まれ Nicolas と名前を付けた
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1853 |
30歳 |
故郷ミルクールに帰りまた店を構えた この頃からヘッドもフロッグも Peccatte-Simon スタイルに変わる。焼印が押されていない弓もある
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1869 |
45歳 |
1月20日、他界した
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