LUPOT, Francois II1774 - 1838
フランソワ・リュポ



フランソワ・リュポは弓製作者として18世紀後半から19世紀前半に活躍した著名な人物の一人です。彼は、パリで出会った偉大な弓製作家、F.トゥールテの影響を受け、自分自身も弓製作史上に名を残すほどの実力をつけました。
また、弓のフロッグ部分のアンダースライドをいちばん最初に取り入れたのはフランソワ・リュポだといわれています。さらに彼はもう一人の巨匠、ドミニク・ペカットの師匠でもありました。それでは、フランソワ・リュポが弓製作界にどのような影響をもたらした人物なのか彼の経歴を追ってみましょう


【 Francois LUPOT II の生涯 】
1774フランスのパリから100キロほど離れた町 Orleans で生まれた。
父 Francois LUPOT I世はその場所で工房を構えバイオリン作りをしていた。初め彼は父親の下でバイオリン作りを学んでいたが、そこで Lolli というスタイルの弓をみて興味を持ち、自分で弓製作の勉強を始めた。
フランスの有名なバイオリン製作家 Nicolas LUPOT は彼の兄にあたる。彼の生まれ故郷の Orleans は染色の町として有名で、その中の‘ブラジル染め’はフェルナンブーコを原料としていた。この状況から、おそらく Lupot が初めてフェルナンブーコという木材を弓のスティックに用いたのではないかと考えられる。
179420歳兄の Nicolas 達は更なる発展の為にビジネスの中心地パリへ上京した。この頃 Francois はまだ20才だったので、父の工房に残って手伝いを続けていたが、仕事で何度も故郷とパリを行き来する機会があった。この頃はまだ、お客の弓の修理や調整などの仕事が多かった。
パリに出入りする事で彼は Francois TOURTE に出会うことが出来た。この頃の特徴は、へッドはがっしりとしていて TOURTE のものによく似ていて、スティックは八角が多い。フロッグには殆ど装飾がなく、使用している金属は厚め。
180430歳父親が他界した。この頃 Leonard TOURTE のスタンプが押された弓で、LUPOT が製作したと考えられる弓があるので、アシスタントを務めていた可能性がある。
181541歳パリの Angivilliers 通りに店を構えた。
最初の頃は自分の弓のラッピングの下にスタンプを押した。途中からはさらに、一般的なフロッグの上部分にもスタンプを押すようになった。
182046歳彼の評判は上々であった。
182753歳当時のニッケルシルバーはシルバーよりも高価で LUPOT はこれ等を弓の金属部分に用いた。
フロッグの消耗と欠けを防ぐ為に、金属のレールを取り付ける実験を始め、後にこれが、アンダースライドになった。
183056歳店が繁盛し、忙しくなってくる。
183359歳この頃 Joseph Rene LAFLEUR をアシスタントに雇っていた。
スティックの形状は殆ど丸型になり、ヘッドは形がとても良く、シャンファーが以前より控えめ。フロッグは力強く、かつエレガントでやはり装飾は殆どない。
183561歳Dominique PECCATTE が工房に出入りするようになって3人で弓製作に取り組んだ。
183864歳2月4日 パリにて他界。


フランソワ・リュポはドミニク・ペカットを雇って2年後には自由に弓を製作する事を許していました。それだけ、ペカットの才能を認めていたのでしょう。彼の死後、工房をドミニク・ペカットが引継ぎ、その場所で10年程仕事を続けていました。
こうして、フランソワ・リュポは弓製作の巨匠フランソワ・トゥールテとドミニク・ペカットの二人を繋ぐ大切な役割を果たし、さらに自分自身も弓の発展に素晴らしい躍進をもたらしました。現在もその弓は多くの演奏家や収集家によって、とても高く評価されています。