PECCATTE, Dominique1810 - 1874
ドミニク・ぺカット



「ドミニク・ぺカット」は弓製作の巨匠「フランソワ・トゥールテ」と並び称される19世紀を代表する弓製作者です。この二人の偉大な製作家の作品はよく比較されますが、その違いは、はっきりと見られ、それぞれの個性が強く感じられます。大きな特徴として、「フランソワ・トゥールテ」の作品は正確で美的に計算しつくされているのに対して「ドミニク・ぺカット」は常に直感で自分の腕を信じて作品を作っていました。その作品はひとつとして同じものはないのですが、その作りは力強く素晴らしい出来栄えと、見事に彼の特徴を現しています。
それでは、19世紀の2大巨匠の一人、「ドミニク・ぺカット」の生涯を追ってみましょう。


【 Dominique PECCATTE の生涯 】
18107月15日 ミルクールで長男として生まれる。
父親の Jean-Francois PECCATTE はウィッグメーカーであった。家は中流階級で、父親は2つのぶどう園を所有していた。
182212歳この頃、父親の跡を継ぐために美容師の仕事を本格的に始める。
美容師よりも、バイオリン製作に興味を持ちはじめた。
182616歳才能ある Jean Baptiste VUILLAUME が独立してパリにお店を構えるためにバイオリン職人を探していた。
その頃 D.PECCATTE はバイオリン製作に興味を持ち、ミルクールの N.F.VUILLAUME に相談すと、J.B.VUILLAUME に推薦してくれた。
J.B.Vuillaume は弓製作者の Jean Pierre Marie PERSOIT に D.PECCATTE の弓製作の指導を依頼した。
新しい工房で急激に腕を上げた D.PECCATTE。初期の頃の弓は J.P.M.PERSOIT や、同時期に同じ工房で働いていた Claude Joseph FONCLAUSE にとてもよく似ている。
183020歳D.PECCATTE は兵役義務の時期が来たのだが、J.B.VUILLAUME の金銭的援助のおかげで、兵役を免除された。(当時の徴兵制度では、お金を払って、他の人と変わることが許されていた)
この事実は J.B.VUILLAUME が D.Peccatte の才能を認めていたからです。
183524歳1月3日 ノートルダム寺院にて Madeleine Pillot と結婚。立会人は J.B.VUILLAUME と Georges CHANOT。
183625歳1月29日、J.B.VUILLAUME の社宅で長女 Adele が生まれる。
D.PECCATTE は J.B.Vuillaume の工房から離れ、独立を考えていた。
Francois LUPOT の工房で跡継ぎの話が持ち上が持ち上がり、D.PECCATTE は行く事を決めていた。
Francois TOURTE の没後2年の事でした 。彼は F.TOURTE と PERSOIT のスタイルの中間をモデルにして独自性を主張していった。D.PECCATTE は Vuillaume、Gand、Moucotelといった楽器メーカーの為にも弓を作った。
183827歳6月17日、次女 Madeleine が生まれる。
Francois LUPOT の死をきっかけに J.B.VUILLAUME の元を離れ、28歳で彼の工房を継いだ。
184131歳弟の Francois PECCATTE がパリの工房に来て、数年一緒に働いた。
同一の弓でフロッグとスティックをそれぞれのところを兄弟で製作した弓が見られる。
弓を大量生産して大もうけをした。
工房に Joseph HENRY が出入りする。
ヘッドは角ばっていて、幅広で力強い形の弓を作る。
184737歳パリを離れて故郷ミルクールへ帰る。
パリの工房は1838年から弟子として共に働いた Pierre SIMON が継いだ。
185241歳2月11日 Cloitres 通りに引越す。新しい生活は、弓製作とぶどう園の農業。
年とともに腕も生産量も落ちていったが、それでも弓は売れ続けていた。
187262歳弓製作者から農業従事者として市に登録。
187464歳1月13日 他界。


D.ぺカットはJ.B.ビヨームという師匠の下で、仕事の面でも私生活の面でも優遇されていたのが分かります。それだけ、この師匠は弟子の才能をかっていたのでしょう。
D.ぺカットもF.トゥールテ同様に、老後の生活は弓製作以外の事に費やしています。彼はミルクールの実家の父親が残したぶどう園を耕し、たくさんのワインを造っていたようです。家では大量のワインボトルが発見されたと言われています。
最後にD.ぺカットの製作した弓はフランスのほかのメーカー達が作ったものより斬新で、力強く、演奏家やソリスト達に、またコレクターにさえも究極の喜びを与えたのでした。