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1808 | | 12月1日 ミルクールで生まれる。父 Charles は石屋の仕事をしていた。Pierre SIMON の弟 Barthelemy も弓職人であった。
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| | おそらく彼はミルクールの工房で弓製作を習い始めたと考えられる。
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1834 | 25歳 | 若い頃、様々な問題を起こし、留置所に入るほどの事件もあったようだ。
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1838 | 30歳 | ミルクールでの修業を終えた彼はパリへ出て Dominique PECCATTE の下で働きはじめた。この二人は、幼馴染であったという説もある。 SIMON は D.PECCATTE のスタイルに強い影響を受けた。この頃彼が製作した弓にはその特徴が現れている。
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1840 | 32歳 | この頃 J.B.VUILLAUME の工房に出入りするようになり、Vuillaume の為に弓を製作した。 セルフリヘアリングの弓も製作した。
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1844 | 36歳 | パリ1区の Croix 通りに自分の店を構える。
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1846 | 38歳 | Coquilliere 通りに店を引っ越した。
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1847 | 39歳 | D.PECCATTE が仕事の拠点をミルクールに移した時に、パリでの仕事を SIMON が引き継いだ。
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1848 | 40歳 | D.PECCATTE の工房で働いている時に同僚であった Joseph HENRY と共同して仕事をするようになった。 この時期の二人の弓はとてもよく似ていて、‘SIMON’スタンプの殆どの弓は HENRY によって製作されたものと考えられる。
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1851 | 43歳 | とても個性の強い二人はしばし衝突し、共同制作が上手くいかなくなってきた。 J.HENRY は独立して自分の店を構え、残った SIMON は一人で工房を運営していった。 そして、この頃から彼のスタイルに変化が見られる。ヘッドは全体的に細く、前方部分が丸みをおびている。フロッグは力強く、のどの部分が以前より広くなった。彼が Vuillaume の為に製作したいくつかの弓のフロッグの貝目部分には小さな写真が埋め込まれている。後期のスタイルはスティックがやや太めで、全体的に重く‘SIMON,PARIS’と焼印が押されている。
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1852 | 44歳 | この頃から、パリで働いていた記録が残されていない。
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1878 | 70歳 | パリの Saint-Denis 通りに住んでいたと記録が残されている。
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1881 | 73歳 | 12月12日に他界した。
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