SIMON, Pierre1808 - 1881
ピエール・シモン



ピエール・シモンは19世紀の弓製作の巨匠ドミニク・ぺカットに就いて弓製作の技術を向上させ、その後もビョーム、アンリといった一流の弓製作家と共に活動をしていました。彼は主にパリで活動していたとされていますが、1852年から1870年頃まで、パリでの記録がなく、故郷のミルクールで活動していた時期もあったと考えられています。


【 Pierre SIMON の生涯 】
180812月1日 ミルクールで生まれる。父 Charles は石屋の仕事をしていた。Pierre SIMON の弟 Barthelemy も弓職人であった。
おそらく彼はミルクールの工房で弓製作を習い始めたと考えられる。
183425歳若い頃、様々な問題を起こし、留置所に入るほどの事件もあったようだ。
183830歳ミルクールでの修業を終えた彼はパリへ出て Dominique PECCATTE の下で働きはじめた。この二人は、幼馴染であったという説もある。
SIMON は D.PECCATTE のスタイルに強い影響を受けた。この頃彼が製作した弓にはその特徴が現れている。
184032歳この頃 J.B.VUILLAUME の工房に出入りするようになり、Vuillaume の為に弓を製作した。
セルフリヘアリングの弓も製作した。
184436歳パリ1区の Croix 通りに自分の店を構える。
184638歳Coquilliere 通りに店を引っ越した。
184739歳D.PECCATTE が仕事の拠点をミルクールに移した時に、パリでの仕事を SIMON が引き継いだ。
184840歳D.PECCATTE の工房で働いている時に同僚であった Joseph HENRY と共同して仕事をするようになった。
この時期の二人の弓はとてもよく似ていて、‘SIMON’スタンプの殆どの弓は HENRY によって製作されたものと考えられる。
185143歳とても個性の強い二人はしばし衝突し、共同制作が上手くいかなくなってきた。
J.HENRY は独立して自分の店を構え、残った SIMON は一人で工房を運営していった。
そして、この頃から彼のスタイルに変化が見られる。ヘッドは全体的に細く、前方部分が丸みをおびている。フロッグは力強く、のどの部分が以前より広くなった。彼が Vuillaume の為に製作したいくつかの弓のフロッグの貝目部分には小さな写真が埋め込まれている。後期のスタイルはスティックがやや太めで、全体的に重く‘SIMON,PARIS’と焼印が押されている。
185244歳この頃から、パリで働いていた記録が残されていない。
187870歳パリの Saint-Denis 通りに住んでいたと記録が残されている。
188173歳12月12日に他界した。


ピエール・シモンは彫金の細工の技術に優れていて、ビョーム以外にもガンなどの為に弓を製作し、その技術を発揮しました。彼は大量に弓を製作し、それらは現在も多くの演奏家や収集家達に評価され、求められています。