HENRY, Joseph1823 - 1870
ジョゼフ・アンリ



ジョゼフ・アンリは14才という若年にもかかわらず、ジョルジュ・シャノに才能を見初められ、その後、弓製作の巨匠、ドミニク・ぺカットについて弓製作の技術を磨きました。
ジョゼフ・アンリがドミニク・ぺカットと一緒に製作したぺカットスタンプの弓もいくつか存在します。さらに彼はぺカット以外にも、様々な製作者達と共に仕事をした形跡があります。それでは、ジョゼフ・アンリの生涯と弓の特徴を見てみましょう。


【 Joseph HENRY の生涯 】
182312月10日 ミルクールにて生まれる。父 Didier Amable はぶどう園を経営しながらバイオリン製作をしていた。
ミルクールで弓製作の修行を始めたと考えられている。
183714歳この頃、バイオリンメーカー Georges CHANOT の工房で働くためにパリへ上京した。この工房では、弓製作を教えてくれる師匠は存在しなかったが、J.Henry は既に製作の基本を身に付けていたので、すぐに実践出来た。この工房で働いていた他の職人と同じ様に、製作した弓には“CHANOT”のスタンプが押され、販売された。
しばらくして、彼は Dominique PECCATTE の工房で働き始めた。初期の頃の弓で J.Henry の手の入った弓はすぐに見分けられる。
184522歳D.Peccatte の工房で働き続け、少しずつ弓のスタイルに変化が見られる。
・D.Peccatteとの比較
ヘッド:少し角ばっている。ほほの部分は平ら。フロッグ:やはり角ばり気味で高さがある。弓のスタイルが確立され、力強いものになってくる。
184825歳この年の終わり頃に、 Peccatte が故郷のミルクールへ帰った為、 J.Henry は Pierre SIMON と一緒に働く様になった。
J.Henry が製作した弓で“SIMON”のスタンプが押されたものも存在する。
パリの弓の展示会で、彼の製作した弓が大変高く評価された。
185128歳一緒に働いていたSIMONと折が合わずに、独立して店を構え、J.B.VUILLAUME の工房の為に弓を製作していた。
この頃製作した弓の材料は殆どフェルナンブーコを用いていて、金属部分にはシルバーを用いている。
185532歳Gand 兄弟の工房の為にも弓を製作していた。
フロッグの材料にはべっ甲や銀を使用し、貝目の部分には花をモチーフにした装飾をした。丸いヘッドの形を取り入れた。
187047歳パリの自宅で他界。


ジョゼフ・アンリは弟子や助手を雇わなかったと考えられ、彼の製作した弓のモデルや品質が一定しています。晩年の頃になると、弓のスタイルを変化させましたが、それまでに見られたようなエレガントさに欠けます。
彼は47才という若さで他界しましたが、大量に品質の良い弓を残し、その中には彼の師匠であったドミニク・ぺカットと同等の評価を得ているものもあります。