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1823 | | 12月10日 ミルクールにて生まれる。父 Didier Amable はぶどう園を経営しながらバイオリン製作をしていた。 ミルクールで弓製作の修行を始めたと考えられている。
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1837 | 14歳 | この頃、バイオリンメーカー Georges CHANOT の工房で働くためにパリへ上京した。この工房では、弓製作を教えてくれる師匠は存在しなかったが、J.Henry は既に製作の基本を身に付けていたので、すぐに実践出来た。この工房で働いていた他の職人と同じ様に、製作した弓には“CHANOT”のスタンプが押され、販売された。 しばらくして、彼は Dominique PECCATTE の工房で働き始めた。初期の頃の弓で J.Henry の手の入った弓はすぐに見分けられる。
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1845 | 22歳 | D.Peccatte の工房で働き続け、少しずつ弓のスタイルに変化が見られる。 ・D.Peccatteとの比較 ヘッド:少し角ばっている。ほほの部分は平ら。フロッグ:やはり角ばり気味で高さがある。弓のスタイルが確立され、力強いものになってくる。
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1848 | 25歳 | この年の終わり頃に、 Peccatte が故郷のミルクールへ帰った為、 J.Henry は Pierre SIMON と一緒に働く様になった。 J.Henry が製作した弓で“SIMON”のスタンプが押されたものも存在する。 パリの弓の展示会で、彼の製作した弓が大変高く評価された。
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1851 | 28歳 | 一緒に働いていたSIMONと折が合わずに、独立して店を構え、J.B.VUILLAUME の工房の為に弓を製作していた。 この頃製作した弓の材料は殆どフェルナンブーコを用いていて、金属部分にはシルバーを用いている。
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1855 | 32歳 | Gand 兄弟の工房の為にも弓を製作していた。 フロッグの材料にはべっ甲や銀を使用し、貝目の部分には花をモチーフにした装飾をした。丸いヘッドの形を取り入れた。
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1870 | 47歳 | パリの自宅で他界。
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