BARBE, Theophile Auguste1853 - 1902
オギュスト・バルベ



1860年代フランスの弓製作の流行が、ハンマー型のヘッドをしたペカットスタイルから、丸みを帯びたボアランスタイルに変わってきた頃、ミルクールの弓制作者オギュスト・バルベは、そのボアランスタイルの特徴を上手く捉え、本物と比較されるほどの素晴らしい弓を製作しました。


【 Theophile Auguste BARBE の生涯 】
18539月10日、ミルクールにてバイオリンメーカー Dominique BARBEとMarie Agathe Gury の間に生まれる。
BARBEはミルクールで弓制作者 Charles Nicolas BAZIN の元で修行したらしい。
187925歳7月20日 Stephanie Piroue と結婚。
188128歳この頃、BARBEはGAND & BERNARDEL兄弟の工房でアルバイトをしていた。
Francois Nicolas VOIRIN スタイルが流行していたので、その形に似たスタイルで弓を製作する。
11月28日 息子の Pierre Auguste が生まれる。
188636歳彼はパリに行くことを決め、GAND & BERNARDEL の工房で正式な社員として働き始める。
フロッグはパリのスタイルを保ちながらも一枚ヒールを考えた。
189744歳地元ミルクールに帰り、自分の店を構え、パリのディーラーなどと提携し、弓を作り続けた。
190249歳4月14日ミルクールにて他界。


彼の詳細については不明な点が多く、はっきりと解っている事は上記に書いてあるとおりです。また、一人息子のP.バルべが父親と同じ弓職人にはなったが、自分の店を継がずに、ティポービル・ラミーの店と提携してしまった事には後悔していたようです。