EURY, Jacob1765 - 1848
ジャコブ・ユーリ



ジャコブ・ユーリは弓製作の巨匠フランソワ・トゥールテの一世代後の弓製作者でしたが、当時、フランソワ・トゥールテと接触があったといわれており、彼の影響を受けた作風が感じられます。


【 Jacob EURY の生涯 】
17654月6日ミルクールにてバイオリンメーカであり、ディーラーでもあった Francois と母 Libaire Villemin の間に生まれる。
Jacob EURY は幼い頃、父親にバイオリン作りを習っていたが、しばらくして弓作りに転向した。
178419歳兵役義務の為、1792年まで8年間、ミルクールを離れ軍隊に所属していた。
おそらく、兵役義務が終了した後にミルクールに戻って弓製作を始めたが、すぐに才能が開花したと考えられる。その後、詳しい日時は不明だがパリへ上京したと考えられる。
180742歳パリに上京してからの彼の作品は Francois Xavier TOURTE のものによく似ていて、この事から、二人の間に接触があったのではないかと推測できる。
・EURYとTOURTEの比較
スティック:ヘッド部分とスティックの八角の製作の仕方がとてもよく似ている。しかしシャンファー部分はチップに向かうにつれて広くなっている。
フロッグ:サイズが殆ど同じで金属のシルバーがとても厚い。のど部分が大きくカットされている。EURYのフロッグは丸まったヒール部分を保護する為にヒールと同じ幅の銀の板を張り付けたものがある。
181146歳パリの Thinoville通りに住んでいた。
181247歳パリの Lyonnais通りに引っ越した。
181449歳この頃、家主の Jeanne Felicite Picasse と結婚。
181550歳4月26日、貧困のため生活が苦しく、当時裕福だったバイオリンメーカー KOLIKER から借金を背負うことになった。
181954歳Croix通りにある KOLIKER の店のすぐそばに引っ越した。おそらく借金返済の為お店を手伝っていたのだろう。
182257歳工房をClef通りに移し、弓を大量に製作した。
弓のスタイルに少し変化が見られる。
ヘッド:前方が少し角ばっている。シャンファーの削りに近い。
フロッグ:のど部分が小さくなってきた。
182661歳5月6日、妻の Jeanne が他界。土地の所有権などが、夫である EURY に相続され、彼はそれを借金返済と老後の生活資金のために売った。
12月28日、2度目の結婚をする。妻の Marie Le Boucher はベルサイユ地方出身であったために、パリを離れ、そちらへ引っ越した。
184075歳2番目の妻とは、あまり上手くいかずに、別居生活を強いられた。
この頃まで仕事を続け、中にはフロッグに金属のレールを取り付けた弓も製作した。
184883歳10月7日、ベルサイユ地方で他界。


ここでは省略されていますが、なんとジャコブ・ユーリは生涯に引越しを少なくとも8回も行っていました。彼はとても長生きして、沢山の弓を残しました。それらは現在演奏家たちにとても評価されていて、外観的な美しさの面でF・トゥールテと比較されることもあります。