|
|
|
|
COLAS, Prosper1842 - 1919 プロスパー・コラス
プロスパー・コラスの出生に関して、詳しい事は不明です。言い伝えられている話によると、彼の母親のキャサリン・コラスは息子が生まれてからしばらくの間“Francois”と言う名前で出生届を出したが、夫のクリストフが亡くなった後、彼が19才になった頃“Prosper”と改名したと言われています。
【 Prosper COLAS の生涯 】
| | |
1842 | | フランスの Coincourt という所で生まれたと言われている。 フランスの田舎で弓製作を学ぶ。特に後期の Peccatte スクールの影響を強く受けた。
|
| | |
1871 | 29歳 | Jean Baptiste VUILLAUME 工房で働くためにパリに上京し、同時に、自分の店も構えたようだ。 すぐに店は盛況となり、Vuillaumeスタイル、Bazinスタイル等、様々なスタイルで製作し、数人の弓職人も雇っていた。 この時期 COLAS 本人のスタンプが押された弓も見られる。
|
| | |
1900 | 58歳 | この頃彼は絶頂期を迎え、弓を大量に生産し、バイオリン製作者などに販売していた。 この頃カタログを作成し、“P.C”という刻印の弓を追加した。
|
| | |
1919 | 77歳 | パリにて他界した。
|
コラスの製作した弓は、同世代の弓職人のF.バザンやC.ヒューソン、P.クニオ等の作品と間違われる事もあり、とても出来の良い弓です。
コラスの死後、彼の店は総合楽器店を経営していたフェレット・マルコットという人物によって引き継がれ、ピエール・マリーン等の腕の良い弓職人達が製作した商品が“フェレット・マルコット”のブランドで販売されていました。
|
|
|
|