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「ヨーゼフ・アントニオ・ロッカ」(1807〜1865)は、1800年代のストラディバリウスとも呼ばれ、イタリアのトリノを代表するヴァイオリンメーカーの一人です。 トリノは、J・B・ガダニーニ(1683〜1770)が、イタリア北部を放浪した旅の末、コジオ卿の招きを受けて身を落ち着かせた都市でもあり、その後、ガダニーニファミリーによってヴァイオリン製作の中心地となりました。当時のトリノでは、クレモナ出身のロレンツォ・ストリオーニ(1751〜1802)が活躍していましたが、彼のもとで修業していたジョバンニ・フランチェスコ・プレッセンダ(1777〜1854)が、1820年にトリノで独立し、フランスに近い立地条件から、フランスのヴァイオリン製作の影響を受けた楽器を製作しています。この時代の製作者は、初期のオールドヴァイオリンメーカー達のようにそれぞれ独自のパターンで楽器を作るのではなく、先の巨匠達の楽器を研究し、そのコピーを作りました。しかしそれは単なる模倣ではなく、独自の音に対する探究の結果、どれもオリジナリティーに富んだすばらしい作品となっています。現在でも、彼らが製作した楽器は多くの演奏家に愛用されています。
ヨーゼフ・アントニオ・ロッカは、トリノに近いバルバレスコで生まれました。父親のジョバンニ・ドミニコ・ロッカもヴァイオリンメーカーで、主にガルネリタイプの楽器を製作しました。のちに彼はその才能をプレッセンダに高く評価され、その工房で何年か働きました。彼はとても勤勉で、特にアントニオ・ストラディバリの作品を熱心に研究し、優れたストラドモデルを用いて作品を製作しました。特に、ストラディバリウスの黄金期の代表作、「メシア」(1716年作)を手本にすることで、彼の技術は飛躍的に向上したといわれています。 彼の楽器製作の絶頂期は、1835年から1855年(28才から48才)にかけてであり、この ex Taro も、まさに彼の絶頂期における代表作の一つです。作品の特徴としては、ストラディバリウスの作品よりも隆起が低くなっています。これは、当時の演奏形態が室内楽中心からコンサートホールでの演奏に移り変わり、音量が求められるようになったことを背景とする工夫の結果であり、このことからも、彼が単にストラディバリウスの作品をコピーしたわけではないことが窺われます。
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