GAULARD, Francois Jude1787 - 1857
フランソワ・ジュード・ゴーラ



フランソワ・ジュード・ゴーラは、18世紀後半に生まれ、弓製作においてフェルナンブーコ以外の材料を使用して研究を重ねていました。また、彼はおそらく、音の為にフロッグはオープンスタイルで作り、当時アンダースライドを使用したフロッグがあったにも関わらず、一切使用しなかったのです。


【 Francois Jude GAULARD の生涯 】
178710月28日 ミルクールにて、弓とバイオリン製作者の父 Louis と母 Marie-Jeanne Drouillet の間に生まれる。
彼は幼い頃、父親から弓製作を習い、その後、Louis Simon PAJEOT の下で修行を積んだと考えられている。
181023歳6月6日、Ursule Fetique と結婚。
彼らには子供が2人いた。長男の Louis Auguste は楽器店を経営していた。次男の Nicolas Alexandre はバイオリン製作者となった。
その後も彼はミルクールで過ごし、様々な材料を用いて弓を製作した。
その他の特徴としては、ヘッドの幅が広めだが先端はとても細くて、チップには時々金属が用いられている。フロッグの材料が動物の角の場合、黒檀の象嵌が施してある弓もある。スティックの材料に、フェルナンブーコだけでなく、スネークウッドやアイアンウッド、その他海外から輸入した木材を用いた。フロッグには、黒檀、動物の角等を使い、貝目の部分に星や輪の装飾をした。
185467歳この頃、町の住民記録には、GAULARD は弓製作者兼楽器製作者として登録されていた。
185568歳妻の Ursule が亡くなり、その事をきっかけに地元ミルクールを離れ、パリ郊外の Troyes にある長男の Louis Auguste が経営する楽器店で一緒に働き始めた。その後も何本か弓を製作したと考えられるが、徐々に技術の腕は落ちていった。
185770歳Troyes にて他界した。


フランソワ・ジュード・ゴーラの製作した弓は、フロッグなどの細工が非常に美しく、貝目の部分に黒い貝などをあしらったりしていました。彼の初期の頃の弓には“GAULARD.M”という焼印が押されているものがありますが、“M”はミルクールの頭文字を表していて、彼の師匠の“PAJEOT.AMT”を真似したのではないかと考えられます。