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 フランソワ・グザビエ・トゥルテ(1748〜1843)は、ヴァイオリンと弓の製作者である父ピエールのもとに生まれます。兄レオナルドが父親の弓製作の仕事を引き継ぎ、弓製作だけでは一家の生活が苦しかったこともあり、8歳で、当時社会的に高い評価が期待できた時計製作者の道を選びます。しかし、弓への情熱を捨てきれなかった彼は、時計作りの傍らで弓のスクリューやメネジの研究、象牙や鼈甲(べっこう)等の新しい素材の勉強を続けます。そして、彼が16歳の時に父親が亡くなると、時計作りの仕事を辞めて、兄と共に本格的に弓製作の仕事を始めました。

 まずトゥルテは、弓を製作する木材についての研究を始めました。この頃までの弓製作では、スネークウッド、アイアンウッド、アモレット、といった木材が主だったのですが、彼はそれまでの常識にとらわれずに様々な木材を海外から取り寄せて実験します。砂糖を輸入するために使っていた樽で弓を製作したこともありました(この木材は後に杖となりましたが)。そして研究の結果、フェルナンブーコの木材がもっとも弓に適していること発見したのです。フェルナンブーコとは、ブラジルのフェルナンブーコ州で採れるブラジルボクの豆科の木材です。かつては、ブラジルはヨーロッパ、特にポルトガルの植民地でした。そこは金やダイヤモンドの豊富な土地で、それらを運ぶために創られたキャノン砲の取り付けられたガリオン船が、強風や荒波で難破するのを避けるために、船の重量を調整する必要がありました。その「重り」として、密度の高い木材が使われたのです。後にこの木材が染料として使えることがわかり、ポルトガルからフランスへ渡ります。トゥルテはそこで「フェルナンブーコ」を見出しました。


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 トゥルテは34歳の頃には、ヴァイオリニストで作曲家のジョバンニ・バティスタ・ヴィオッティや同じくヴァイオリニストで作曲家のロドルフ・クレゼールと出会います。意気投合した彼らは、共に協力して新たな弓の様式を探っていきます。この時代は様々な曲のスタイルや演奏方法が共在していたため、彼らはあらゆるスタイルに合う弓の必要性を感じていたのです。まず、弓の端から端まで安定して演奏できるように、フロッグとヘッドを同じ高さにしました。そして、ヴィオッティの高度な曲を演奏するために適した弓の反りを確立します。次に、ヴィオッティやクレゼールの最も不満とする弓毛の不安定さを改良するために、フェルールと呼ばれる金属製のリングを発明します。これにより、弓毛を薄く均一に張れるようになったのです。そして、重量バランスを整えるために、フロッグに金属製のプレートをはめ込むなどして、オープンフロッグからカバードフロッグへと改良し、さらにはラッピングと呼ばれる巻きを施すことで、弾きやすい弓の重量バランスを確立したのです。ほとんどのトゥルテの弓のヒールプレートには、3つのピンが埋め込まれていますが、これはフランス革命の時代に、トゥルテが密かに支援していた秘密組織フリーメイソンの象徴“自由・平等・博愛”を表現したものなのです。

 これにとどまらずにトゥルテの研究は続き、彼が50歳の頃にはヴァイオリン弓のスティックの長さは73cm、ヴィオラ弓は72.5cm、チェロ弓は70cmとし、総重量もヴァイオリン弓が60g、ヴィオラ弓は70g、チェロ弓は80gがベストであると決定づけます。以降、現在に至るまで、すべての弓製作の基本形式は、これらのトゥルテが確立した寸法や様式が基準となっているのです。そして70歳になっても技術の衰えを見せることのなかったトゥルテは、結局87歳でその生涯を終えるまで弓製作とその研究を続けました。


 この弓“exサルトリー”の「トゥルテ」は、20世紀を代表する弓制作家のユージン・サルトリーが研究のために所有していたトゥルテの弓で、現在は、ヴァイオリニストの堀正文さんが使用しています。作品としては、言葉に表すことのできないほどエレガントな美しさを持つ上質なスワン型のヘッドで、トゥルテの中でも初期の作品となります。サルトリーをはじめ、彼の師匠であるアルフレッド・ラミーや、さらにその師匠のフランソワ・ボワラン等は、このようなトゥルテの初期の作品を参考に弓を製作しました。また、ドミニク・ペカットをはじめとするヴィヨーム工房の職人達はトゥルテの後期の作品を参考にしていることからも、トゥルテが後の弓製作に大きな影響を与えた、偉大なる弓製作家であった ことがわかるのです。

 まさに、今もって誰も越えることのできない、楽弓の歴史の頂点に君臨しているのが、「フランソワ・グザビエ・トゥルテ」なのです。


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堀 正文  ヴァイオリニスト


5歳からヴァイオリンを始め、京都市立堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を経て、フライブルク音楽大学に留学し、ウールリヒ・グレーリング、ウォルフガング・マシュナーに師事する。1973年、同大学を卒業と同時に同大学の講師となる。1974年、ダルムシュタット国立歌劇場管弦楽団の第1コンサートマスターに就任する。

1979年、東京でNHK交響楽団とのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を共演したのを契機に、9月、NHK交響楽団にコンサートマスターとして入団。現在、同楽団のソロ・コンサートマスター。

演奏活動のかたわら、ジュネーブ国際コンクール、フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクール、レオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリン・コンクール、シュポア国際コンクールなど国際コンクールの審査員を務め、また桐朋学園大学主任教授として後進の指導にあたる。


堀正文 所属事務所 KAJIMOTO    ≫ http://www.kajimotomusic.com/







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