TOURTE, Nicolas Leonard  通称 ‘Tourte l'aine’1746 - 1807年頃
ニコラ・レオナルド・トゥールテ



ニコラ・レオナルド・トゥールテは、18歳の頃、父ニコラ・ピエール・トゥールテが他界し、長男として一家を支えなければなりませんでした。また、この時代のパリは、フランス革命の真っ只中で、特に革命家側に付いていたレオナルドは、過酷な生涯をしいられていました。また、弟のフランソワ・トゥールテと共に、現代の弓を完成させ、弓製作史上に、多大なる影響を与えた人物の一人です。


【 Nicolas Leonard TOURTE の生涯 】
17461月22日、パリで生まれた。
Nicolas Pierre TOURTE は大工仕事と、弓製作、バイオリン製作などを掛け持ちしていた。
17488歳Francois Xavier TOURTE が生まれた。
175610歳父親の仕事の手伝いを始めた。彼は特に弓製作の仕事に興味を示し、夢中になっていった。
フランス弓製作史上初めての弓専門制作者となる。
176418歳3月31日、父 Nicolas Pierre TOURTE が他界し、長男の Leonard が一家の大黒柱として働いた。
Leonard の評判が高くなり、演奏家達から、信頼されるようになっていった。Leonardは 演奏家の音楽や演奏スタイルに合わせて様々な形の弓を製作した。
176721歳Catherine Landry と結婚した。
同じ頃パリの QUINZE VINGTS HOSPICE という特区にある国の施設に自分の店を構えた。
この頃製作した弓には“TOURTE◇L”“AUX◇15 VINGTS”という二つのスタンプが押されている。
176923歳この頃 Wilhelm Cramer が新しいスタイルの弓をパリに持ち込み、Leonard に大きな影響を与えた。
‘Cramer’スタイルの弓は元はドイツより広まり、それまでのバロック弓よりも高さがあり、ヘッドが重く当時の演奏家達に多く求められていました。そのスタイルはその後20年以上も愛用されていきました。
長男 Charles TOURTE が生まれる。
この頃 Leonard は上流階級や革命の思想家グループと交流があったと考えられている。
178034歳特別地域に構えていた店が閉鎖され、Palece de l'Ecole に店を移した。
F.X.TOURTE と共同して仕事をしていたので、この時期の Leonard の弓は‘TOURTE’スタンプの弓ととても良く似ている。
178842歳彼の妻 Catherine Landry が亡くなり、同じ年の11月25日に Marie Jeanne Guillaume Marion と再婚した。二人は23才の年令差があった。
この頃彼は黄金期を迎え、生活もとても豊であった。
178943歳フランス革命により、上流階級の人々は、その地位が危ぶまれ、また改革の思想の持ち主は危険な立場に追い詰められた。Leonardもその一人であった。
179044歳7月16日、長女 Marie Catherine Prudence が生まれた。
179347歳革命は勢いを増し、ますます危険な立場に置かれた Leonard、2年間身を潜め静かに時を過ごした。
この時期弟 F.X.TOURTE はバイオリニスト Viotti と共に、弓のフェルールを発明し、Leonard もそれらを取り入れていった。
179448歳彼は家族を守るために離縁し、家族を迫害から遠ざけた。この時期のパリの民衆は、一度何らかの迫害や容疑を受けると、誰でも簡単に絞首刑を言い渡されてしまうという恐怖に怯えていた。
179650歳11月15日、次女 Madeleine Jeannette が誕生した。
180357歳9月13日、三女 Melanie Josephine Elenore が生まれる。
その後、彼は病を患い徐々に仕事の量も少なくなっていった。
後期の彼の作品はやや、技術の低下が見られ、重い気取った弓になっていった。
180761歳9月11日に亡くなったと考えられる。


皮肉にも、レオナルドが他界した後に、フランス革命の混乱も収まり始め、人々には平安が訪れました。
もし、レオナルドがこの時代に生まれていなければ、もっと沢山の弓を製作し、父や弟のようにフランスの弓製作に貢献できたでしょう。しかし、フランソワ・トゥールテが現在にも名をとどろかせる名匠となったのは、幼い頃から彼を助けてきた兄のレオナルドの存在なしには、考えられなかったでしょう。