PIERNOT, Marie Louis1880 - 1959
マリー・ルイ・ピエルノ



マリー・ルイ・ピエルノは19世紀後半、フランスの多くの弓製作の見習いが通っていたチャールズ・ニコラ・バザンの工房で、弓製作を学び、その後パリのジョゼフ・アルテュール・ヴィネロンの工房へ入り、実力を伸ばしていきました。


【 Marie Louis PIERNOT の生涯 】
18807月21日 フランス Vosges 地方の Neufchateau で生まれた。
郵便屋の父 Nicolas Emile と母 Felicite Mulot の間にうまれ、Charles Emile という兄がいた。
189212歳多くの同志と共にミルクールの Charles Nicolas BAZIN の下で弓製作を学んだ。
190020歳BAZIN 工房を卒業し、パリの Joseph Arthur VIGNERON の工房へ入り、腕をのばしていった。
この頃の特徴は、ヘッドの上部が丸みを帯びていて、VIGNERONのスタイルにとてもよく似ている。フロッグは華奢で、大きな貝目が装飾されている。
190525歳Claire Marie Angeline Molinari と結婚した。
190626歳J.A.VIGNERON が他界した事をきっかけに、Leon BERNARDEL の工房に移った。
192343歳この頃まで BERNARDEL の工房で働いていたが、第一次世界大戦の為、4年間仕事を一時中断し、戦後は独立して自分の店を構えた。
この頃は、大きな貝目は使用されなくなり、VIGNERON のスタイルにより近づいていった。
193050歳パリを離れ、Parmain という町に工房を移した。
徐々にスタイルが重い印象になっていった。
194565歳第二次世界大戦終了間際、パリへ戻り Ledru-Rollin 通りに店を構えた。
弓のスタイルは更に重みを増したが、反面生産量は減っていった。
195979歳7月30日 パリで他界した。


マリー・ルイ・ピエルノの作品の中で特に初期の方に製作された弓は品質が高く、現在も多くの演奏家達に評価されています。また、彼は多くの弓メーカーやバイオリンメーカーの為に弓を製作し、販売していたので、様々な焼印が押され、市場に出回っています。