PECCATTE, Francois1821 - 1855
フランソワ・ペカット



フランソワ・ペカットは19世紀の偉大な弓製作家ドミニク・ペカットの弟に当たります。
兄とは11歳も離れていたので、フランソワが弓製作を習い始めた頃には、既にドミニク・ペカットは、弓製作家としての名声を得て揺ぎ無い地位を築いていました。二人の兄弟は時々協力し合って弓を製作していたと考えられ、非常に良く似たスタイルの弓がいくつかあります。残念な事にフランソワ・ペカットは生まれつき体が丈夫ではなかった為に、34歳という若さでこの世を去りましたが、生まれ持った才能を生かし、後世に残る美しい弓を残しました。


【 Francois PECCATTE の生涯 】
18213月10日 ミルクールで生まれる。
父 Jean-Francois は美容師であった。
11才離れた兄の Dominique PECCATTE はこの頃、父の仕事を継ごうと考えていた。
おそらく、ミルクールで弓製作の修行を始めたと考えられる。
184019歳この頃には既にパリへ出て活躍していた兄 D.PECCATTE のツテでパリへ行き、さらに腕を磨く機会が訪れた。
この時期兄弟で共同制作した作品が見られる:ヘッドは力強く角ばっている。フロッグの作りが兄弟で非常によく似ている。
184221歳確かな日時は不明だが、彼は2年足らずでミルクールに戻ってきた。
184322歳Marie Francoise Mougeot と結婚した。
彼らは5人の子供に恵まれた。
184423歳この頃商売が繁盛していて、何人かの職人を雇っていたようだ。
この頃、弓のスティックにはフェルナンブーコ以外にもアイアンウッドなどを使用している。
184726歳D.PECCATTE がミルクールに帰ってきた。彼らはパートナーとしてではなく、時々お互いの仕事を手伝う程度で、独立して製作活動を続けた。
この時期製作された弓は、彼の作品の中で最も美しい。
185029歳息子 Charles Francois PECCATTE が生まれた。
5人の子供の中で彼だけが弓製作者となった。
185130歳ミルクールの家を売却し、家族でパリへ移り住んだ。
185231歳J.B.VUILLAUME の工房で働き始めた。
J.B.VUILLAUME の工房で製作された彼の弓は、残念な事に、他の製作者が作った弓と見分けが付かない。
185332歳工房を出て、一人で弓を製作するようになった。出来上がった弓は時々ミルクールに戻って販売していた。
185534歳パリの自宅で他界した。
最期のころに製作された弓はやや品質の低下が見られる。


フランソワ・ペカットの製作した弓は兄ドミニク・ペカットと同じ様に力強いスタイルで、均整の取れた美しい作品です。当時1〜50フラン程度で販売されていましたが、同時期に11〜100フランで販売されていたCHANOTの弓と比べると非常に安価であったと考えられます。