MALINE, Nicolas1822 - 1877
ニコラ・マリーン



ニコラ・マリーンは父親に弓作りを学び、エティエンヌ・パジョー工房で、ニコラ・メアーに影響を受けた後にJ.B.ビョームに認められ、当時、弓職人として大変活躍し、亡くなった後もマルタン、シモン、ピエール・クニオといったミルクールの数々の名工に影響を与えた人物であり、現在も多くの演奏家に評価されています。しかし、実は彼は20世紀の前半頃までは、存在自体が不明で、彼の製作した弓はどの専門書においても、彼の父親ギョーム・マリーンの作品とされていました。


【 Nicolas MALINE の生涯 】
18222月28日 ミルクールで生まれる。
父親の Guillaume MALINE はバイオリンと弓作りをしていた。父のGuillaumeは2度の結婚で13人の子供を設けた。初めの結婚では5人の男の子が産まれ、長男、次男、末っ子がバイオリン作りの道に進み、三男と四男の Nicolas は弓作りになった。2度目の結婚では8人の子供のうち4人が女子であった。男子の子供の内3人はバイオリン作りを、残りの1人は弓作りをした。
Nicolas MALINE は他の兄弟と共に父親の工房で弓製作の勉強をした。その後、Etienne PAJEOT の工房で働き、そこで Nicolas Remy MAIRE と出会い、公私共に親しい間柄となった。
184018歳この頃、J.B.VUILLAUME の工房で働き始めた。Vuillaume は MALINE を雇ってすぐに、Vuillaume スタイルのフロッグで弓を製作するように指示を出したが、その他の部分においては自由にまかせた。
それまで、Peccatte スタイルで弓を製作していた MALINE は、丸い Vuillaume スタイルのフロッグを作るのは初めての事であったが、彼の弓作りの才能は Vuillaume も認めるほどであった。
184927歳この頃 MALINE はある軍隊に所属しており、その証として自分の製作した弓に名前と十字のマークの焼印をおした。その後彼の評判は徐々に高くなり、独立して店を構えたが、その後も Vuillaume の為に弓を製作しつづけた。初期の頃の作品と比べると、やはり Vuillaume の影響を受けている事が分かる。彼の後期のフロッグ部分は丸みを帯びていて徐々に洗練されてきている。
185028歳故郷のミルクールで4月24日、Marie Anne Grandcolas と結婚。
185533歳この頃から兄弟や親族を含めたバイオリンメーカーに弓を製作して販売していた。弓の材料には品質によって、スネークウッドやアイアンウッドにはニッケルシルバー、そしてフェルナンブーコにはシルバーやべっ甲金を用いた。
186038歳当時の流行に沿って、ヘッド部分も徐々に丸みを帯びてきた。中にはヘッドの高さが低い物もある。
187048歳この時期に作成された彼のスタンプ付きの弓が今までの物と明らかに作風の違う弓が存在するようになる。この事から息子の Nicolas Auguste Eugene がアシスタントとして共に働き始めたのではないかと考えられる。
この頃から作品の品質が徐々に落ちているが、この時期のフランスとプロシアの戦争で何らかの影響を受けたのではないかと考えられる。
187755歳4月28日に他界。


ニコラ・マリーンは当時のビョームスクールの製作者の中でも特に目立った存在で、その後のJ.Jマルタン、N.シモン、P.クニオといったミルクールの製作者達に大きな影響を与えました。
ニコラ・マリーンの父、ギヨーム・マリーンが2度目の結婚で設けた娘のカトリーヌは後にニコラ・コンスタント・モリゾーと結婚し、弓製作者ルイ・ジョゼフ・モリゾーが生まれました。